夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

二酸化炭素と酸素の行方とディストピア。

さて、今朝の体重は65.7kg、体脂肪率12%であった。

うーむ。

大変微妙な値ではあるが、4日間家にいて、雨が多くて4日間の歩数は、

11753歩、6335歩、9186歩、4826歩、

であった。

雨が多かった(4日中3日)にしては頑張った方かもしれない。

初日と3日目にはジムにも行った。

いままではジムといっても市営のスポーツセンターであったが、これが改修中なので、すこし費用がかさむものの24時間ジムに加入したのだ。

24時間というと、いつでも行けるが、まあ、家族がいるといつでもというわけにはいかない。

だが、在宅勤務などで適度なストレスがあると、休み時間にちょっと行くか、という感じになる。

このジムは自転車で10分という近さがいい。だが最近は雨で傘をさしていると警察に止められるかも、というストレスがあるので、止む無く電車で行くことにした。

電車だと電車に乗っている時間は3分ほどだ。駅まで5分、電車で3分、ジムの最寄り駅からジムまで5分、とみると、13分で行ける。自転車の方が実は早い。この田舎の道たちで、信号を避けて行けば自転車が最速なのだ。

まあ、電車でも悪くない。電車の時間を見計らって最短で行けば13分というのは悪くないだろう。

顔認証なのもいい、へんなパスなどがいらないのはありがたい。土足OKなのもいい。なかなか気に入っている。

のだが、なんと駅に着いたとたん、定期を忘れていることに気づいた。時間ロス。戻って次の電車に乗るのと、歩いてゆくのとでは、もうあまり時間が変わらないのではないか、一度歩いてみるか、と思案した。

歩いてみた。20分くらい。なるほど、歩数が稼げるのはいい。歩くことはエクササイズに入れているのだ。

結局そこから歩いて20分強。

一本あとの電車に乗っていくのとほぼ同じ時間であった(田舎なので本数が少ない)。

ということで、ジムで懸垂と腹筋強化をやって駅に向かったが、うーん、これなら帰りも歩いてもいいのではないか。

もともと雨模様であったので自転車をやめて電車にしようと思ったわけだが、結局パラパラ位で大雨ではない。ということで、駅から帰りも歩くことにした。

その結果が「11753歩」である。

ジム+歩き、で運動量が確保できたのはよかった。

 

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二酸化炭素について。

 

人類は総数ではこれからもどんどん増えるだろう。いわゆるアフリカやインドなどで経済が発展する中で、増えた人口の個人当たりの使用する電力量は当然増えてゆくだろう。

個人がいくら待機電力を節約したり、一駅歩いたりしても、なかなか総量の二酸化炭素発生量は減るわけではないだろう。

多分ほとんどの人類はそう思っているはずだ、心の中の判断として。

「どうせやっても無駄だ」

と思うなげやりの気持ちを持つことは、個人にとってもストレスである。

どうせなら前向きな気持ちでいたい。それで出てきたのがSGDsであろう。

 

この気持ちは、個人個人の生活に肉薄する影響が出てくると、ボランティア(選択し採用する)ではなく、義務として課されることになるだろう。

これはアフリカやその他発展途上の国々がすべて現在の日本程度の生活を行うようになる時代、まあ、100年位先?(もっとかな)以降の話ではあろう。

だがとにかく二酸化炭素は減ることは残念ながらないだろう。

(いや、アフリカ、インド等すべての国が人口減となる時期は来るだろうから、そこから先はコントロール可能かな??)

二酸化炭素が発生すると、多くは海面から吸収され、現在の酸素濃度を海水は徐々に維持できなくなるだろう。すると海産資源は徐々に枯渇してゆく。乱獲ではなく、生存不可である。徐々に二酸化炭素が多い海水でも生きることが出来るプランクトンレベルの生物は生れるであろうが、これは時間でいうと数千年、数万年レベルかもしれない。

今までにこの世界は何度も絶滅を繰り返してきたという。そもそも二酸化炭素が多い大気に、酸素を発生させる青藻が生まれたことで、それまでの生物は絶滅したのだ。酸素は彼らにとって劇物であるからだ。

これからはこの逆となってゆく。二酸化炭素は人類ほか現生動物にとっては基本有害だ。ある種の植物にはそうでもないかもしれない。だが動物が基本死に絶えるだろう。

そこから再び「二酸化炭素をベースにした生物の世界」が始まるのだろう。

これはだいぶ先ではあろう。人類は科学を利用してある程度あがくことができる。例えば地平のほとんどを太陽光パネルにしてゆけば、現在の火力発電中心の電力生成を変えることができるかもしれない。コントロールが難しいが、背に腹はかえら得ず原子力に頼る方向もあるだろう。

だが長期的には最後どうにも酸素がもうどうにもない時が来るのだろう。

個人の生でも息が出来なくなると死を迎えるわけだが、

人類、動物という存在も未来のある時期にその最後の息をすることだろう。

 

なんとかその時期が先になってほしいし、そのための大きな視点、地球レベルの取りくみが、必要な時期が迫っている気もする。

(あと50年位ですかね、その判断は。。。シンギュラリティ、デザイナーズベビー、サイバネティクス(人工臓器)などもいろいろ影響するのでしょうね。。将来は人類はAIにコントロールされてコールドスリープに入っている気がしてなりません。)