夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

三島由紀夫について。

三島由紀夫について。


皆さんは三島由紀夫という人をどうとらえていらっしゃるだろうか。


告白すると、私は怖いもの見たさで私小説をのぞき見することがあるが、どちらかというと自身の性格は”暴露型”ではなく、"秘匿型”だと感じている。


硬い言い方をしたが、まあいわゆる”恥ずかしがり”だ。特に性的なことは、一般の会話には余り入れたくない感じである。もちろん個人的な会話ならいいのだろうが、それでもあまり言葉にはしたくない。


青少年期には、いわゆる”性的なことをさらけだしてこそ仲間”みたいな雰囲気がある場合があるだろうが、ああいうのはとっても苦手だ。ワンスアポンアタイムインアメリカ、であるような、お互いの性欲を見せ合うような。そういうのが子供の頃から嫌だった。


あくまで私的なこと。親密ではない他人には言いたくない。
いまでもそう思う。


皆さんはどうだろうか。例えば三島の”仮面の告白”。フィクションであろうが私小説であれば、”あれが三島の内面だ”と思っている(いた)人は多かろう。恥ずかしいことを世間に言う男こそが“漢らしい”。
そう思う私もいる。


堂々と、自分ならかくしておきたい私的な性的なことを告白する。これが私小説であれば、それを書くのは私には困難だろう。すごく魅惑的でもあるが。


そんな気持ちのはざまにある小説を、世間に提示してみせた男として、私は三島をどちらかというと”凄い奴”的に認識していた。

 

 

作品は読破している、とは言えない、だが篠山紀信の撮影した”三島由紀夫の家”は所有している。


当然に1970年の割腹自殺後の撮影だ。主はもはや、居ないのだが。
竣工は1959年。三島は1925年の生まれなので、34歳の時に建てている。
一言、素晴らしい、邸宅である。

 

本書は1994年8月に未亡人の瑤子夫人に許諾されたが、本書が発行された1995年10月には夫人は58歳で亡くなっている。


三島は自身の死後この館を三島記念館としてほしいとの希望があったようだが、瑤子夫人は亡くなるまで住み続けたという。


この本は、生前の三島が邸宅内で過ごす姿や、書斎の様子、本棚までさまざまな情報に満ちている。生前の写真はモノクロが多く、95年時には当然カラーであるので、その対比も面白い。

 

 

いま、アマゾンプライムで、2020年の映画、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を見ている。まだ、途中だが。


1968年の撮影である。自決の2年前、43歳の三島が実際に動く姿がある。私は三島が動いているのを、その声を、初めて聞いた。


1967年のインタビューで、三島は自身の身長を164センチ、体重50キロ位、と答えているようだ。映像では黒いポロシャツ姿であるが、上腕部の筋肉は切れている。体脂肪的には10%は間違いなく切っているだろう。


壇上であるが故、意識している面もあるだろうが、三島は上腕部を伸ばすしぐさが多い。タバコを吸うときも、上腕部には、力が自然と入っている。


ああ、彼らは論争をしているのであった。私はいわゆるこの時代の空気や、世界情勢についての知識がほとんど無い。東大生である役者の芥氏(芸名であるが)の言うことが、正直よくわからない。


これほど、わからないのか。ショックを受けた。もう少し、わかるのではないかと思っていたのだが。


こうした、思想を以て、革命を希求する人たちが、いたわけだ。
三島の自決についても、理由はいろいろ言われているのだろうが、私の中では明確な答えは出ていない。


だが、今感じているところでは、三島は自衛隊が決起しないことに失望して自決したのではない、と思っている。決起はほぼ、ないと見ていたのではないか。だが、自身の死が、それも世間が大きく衝撃を受けるであろう死に方での死を、世間に提示することを、予定通り実施したのだ、と思っている。


三島の首は大切に扱われたとのことだが、のちに写真誌フライデーの創刊号に記載され、たぶん瑤子夫人のクレームで回収される、という形だが世間に示された。
それを見たとき、痛みや苦しみがほぼ示されていない、と感じた。


三島は切腹の作法も含め、全てを予定通り、自身の小説とおなじ次元で、世間に示し表現する、ということを行ったのだろうと、思っている。
(それは自身の死を伴う、一つの考え、一つの生、生き方の表現、であったのかもしれません)

 

三島由紀夫の家