少し版画をかじっている。
師事する先生がお好きなテーマは”エロスとタナトス”。
西洋での画題で、しゃれこうべと美女、が描かれているのもその一例である。
”メメントモリ”=死を想え という画題とも連なる。
絵に対するいろいろなアプローチがあると思うが、私はどちらかというとあたまでっかちに画題やテーマがあると面白い、というタイプだと思う。
さて、エロスといえば、対峙するのはタナトス(=死)であると思っていたが
ケン・ウィルバーを読み進めると、エロス(神を求め上昇する)に対峙するのはアガペ(慈悲=すべてを包み、下降する、あるいは流出する)である、という考えに出会った。
日本語化した”エロス”の語の語感、あるいは語にまとわりつくドクサから、ある狭い限定された印象が強い(そのことはそのことである)が、もともとの”エロス”はウィルバーの言う、上昇への希求、ひりつくような求め、であるようにも思う。これをウィルバーは”男性的”と評す。
翻ってアガペ。すべてを許し、つつみ、認め、抱擁する”母性”。上から下に行くこと(これもまたよし)のせつなさとこれまたひりつくような悲しさ、これをすべて認めるもの。これを”女性的”であると評す。
通常エロスと対峙される”タナトス”もまた、母性的なアガペに包まれ、許され、還ってゆくことだとすれば、これはたいへんに納得のゆくことであるなあ、と
またまた感じ入ってしまったのでありました。