夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

OVERALL.

存在することのシンプルな感覚

存在することのシンプルな感覚

引き続きウィルバーから引用する。

 

世界はなすべきことをなす。ちょうど、心的な段階へ集団的に移行するのに農業、次に工業を学習して、物質的段階を通過しなければならなかったように、情報 、コンピュータ、テクノロジーなどを学習して心的な段階を通過し、こうして、それを超越するスピリチュアルな段階に移行するだろう。素直に言えば、世界は快適なスピードで飛ばしていると思う。

  「パラダイムの戦い」(CW4:179)

  「存在することのシンプルな感覚」 P.144

 

人類というものを全体で考えたとき、今、集団的につながるステージにいると感じる。

インターネットを通し、情報や言葉の連結が出来た。

 

翻訳機能、低価格で学習することができる機能がある。

 

アフリカ、アジア、欧州、米国といった地域から生じる本質的な個人能力の差異、というものは、段階、スピードの差があろうが、最終的には無くなるだろう。

 

数百年はかかるかもしれないが。

 

であれば、この地球にあるところの人類は、最終的にはほとんど同じSPECを持った集団となるように思う。

 

その時のみんなの意識はどうだろうか。

 

池田晶子さんは、政治形態としてギリシャのいわゆる”哲人政治”が理想と説かれた。

(そして僕は池田さんの政治を見たかったが)

 

哲人が述べること、それをすべての人類が同等に理解することが出来る様になれば、哲人はその口を通して真実を述べ、伝えるるのみであることから、最終的に、紆余曲折を経て時間がかかるのかもしれないが、段階を経てその他の人類も当然納得し合意することになる。

 

また、AIが進化して人類が支配されることを危ぶむ声がある。

 

これも長期的には収斂するだろう。

 

哲人が述べること、AIが述べることに最終的に差異が生じるとは思えない。

 

それは最終的には同じ”真善美”であろうから。

 

勿論中盤にはコンフリクトが多く発生するだろう。それこそ映画で描かれるようなAIと人類の対立さえあるのかもしれない。

 

だが、真実が真実としてすべてに伝わることが可能になるとき、そのような対立は解消するだろう。

 

まあ、だいぶん先の話ではあるだろうが。1000年、2000年単位かもしれない。

 

その先はただ、今にやすらぐ人類が地球に住まうのみ。。

 

 

それはしかし、もしかして退屈なのかもしれない。

だれが?なにが?

 

人類の先、あるいは、人類とは別、という事柄が

 

そこから出てくるのかもしれない。