夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

つながり。

最近この現実の世界や、例えば本を通して感じる過去の精神や出来事との間の繋がり、ということについて考えている。

ちいさな自分のこの意識と、広い意味で潜在意識、世界霊魂(うーん、この霊魂の語はなかなか扱いは難しい感じですが)などと過去言い習わされてきたものとの、繋がり、ということについてだ。

日々の生活を通して、絶え間なく”繋がり”というものが出来る。繋がりがないということは、ない。

たとえば、本を読む。人と会う。こうして文章を書く。

本の中で出てくる人。現実の人。それぞれの考えを持っている。関連を持っている。

それを”僕”というこの”人格”が受け取る。受け取って、様々に心のなかで反応し、別の繋がりに繋げている。

何もしない、という結果もある。だが、なにかを心の中で感じている。時間をかけて、その繋がりから新たな繋がりを求めることもある。

これは、”縁”というものとも、似ている。


これがなければ、これはなかった、という思いが、縁だ。



”有難い”とは”なかなかない”という意味だ。原因がなければ、結果はなかったな、という”危うい”とか”ひやひや”の感覚だ。

結果を今享受している。だが、一つ間違えば、なかった。ああ、あぶなかった、に近いのかもしれない。嬉しい、よりよかった、だ。

この感覚、実は非常に重要なのかもしれない。


例えば今こうして生きていること。”生きていてしまえ”ば、当たり前のようだが、親が、いなかれば、何かの拍子で、出会わなければ、ここに自分はいない。

昔の日本では、”親を敬え”といった。

敬え、と強制されれば、取り敢えずは反発するのが僕の性格なので、反発をしていたものだが、そのことで、昔の人が言おうとしていたのは、もしかして違うのかもしれない。単純に”儒教の教え”と割り切っていいものではないだろう。”教え”と割り切ることで、考えなくなる。ブラックボックスだ。

”今、ここに、生きている”。この不思議で、でも放っておけば不思議でもなんでもないように感じることを、池田晶子さんという魂と出会うことで、実はこのことが一番の不思議なのですよ、と教えられてから、

親を敬え、親の恩、ということで、表そうとされていることとは,実は”ひやひや”、結果として親がいなければいま自分は居ないという厳然たる事実のことではないか、と思ったのである。



つまり、これが”縁”の不思議であり、例えば自分が生きている、という唯一つ確実なこと、を通して昔の教えが伝えようとしたポイントかもしれないな、と思うようになった。

全ては縁、関係性で過ぎてゆく。親、もそうだが、ここを押さえれば、縁、関係性という意識を持って物事を見る事ができるようになる。


そしてこの関係性を意識する、ということは、なんとも不思議、いや”愉しい”に近い感じである。

さらには、自分でこの関係性を常に意識することで、これから自分が持つ関係性を、自分の”こうありたい”方向で、コントロールすることが出来るのである。

これが”生きる不思議”を意識したことの、効果だ。


”選ぶ”ということや、”善く生きる”ということにも繋がる。


いつもの話しで恐縮ですが、善く、とは、なんにとっての”善く”か。



この難しい問いへの、池田さんの答えはこうであった。


”自分の魂にとって善い”だ。

初めて聞いた(読んだ)時、実は意味がよくわからなかった。そう、景山民夫が池田さんと話していた時言った”わからない”だ。

池田さんはなぜわからないか、わからない。いや、正確に言うなら、考えてないひとには、わからないことは、わかっている。

言っても仕方がない、わかる人にだけ、わかってもらうしかない。

縁なき衆生は御し難し、そんなことばで、詠嘆されることもあった。


それはともかく、


世間にではない。他人にではない。自分、でもない。自分の”魂”を対象とした、”善い”。


この考え方に、この世界で、接することは、ほとんどない。

大切な、というか、必須のことなのだが、池田さん以外で誰かが言っているのを、聞いた事がなかった。


この言葉に痺れた。痺れ続けている。


ソクラテスの言った、電気ウナギの”痺れ”はこれと同じであろうか?(考えたら、そのころ”電気”はウナギのほとんど占有物だったのですね)


生きることに必要なのは、もしかしてこのことだけなのかもしれないな、と思っている。



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いや、今日、書こうとしたことは、ちょっと違ったのだが。


池田晶子さんを知って、高校生のとき歯がたたなかった小林秀雄を読み直して、少しだけ、わかった気がして、小林から青山二郎へゆき、小林が逗留した奈良の志賀直哉邸へゆき、白洲正子を違う視点で読み、河上徹太郎を読み、富永太郎を知り、中原中也を知り、宇野千代を知り、太宰治と繋がり、高峰秀子にも繋がり、と、どんどん繋がる縁、

このことを書こうと思ったのだが、


なんだか違うことを書いてしまった。



まあ、これも”縁”なのかもしれない。こうしてキイボードを前にして書き出すと、思っていたのと違う事を書いてしまうことが、実はよくあるのだ。

そして、そのことは、実は別に余り”いやな事”では、なかったりするのである。