夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

6月1日 アンリ・ベリクソンのことをなにもしらない。

昨日はトレーニング。

 

帰宅時は66.5kg、体脂肪9.5%、今朝は67.2kg、体脂肪11.2%。

夜食べすぎか?でもまあ、炭水化物ではないので。。

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下っ腹対策で、行く前にアブローラーをやった。またしっかりやっていこう。

枕元にアブローラーを置いた。だが起きてすぐは多分心臓に悪いだろうから、水分を取ってからにしよう。

 

体重は増えたが、腕の筋力はアップしている。そこは嬉しい。

 

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さて、アンリ・ベリクソンについて。

 

といっても、実はなにも知らないのだ。私は哲学書を読むのは苦手で、翻訳書は厳しく、まあ日本人なら井筒俊彦あたりならゆっくり読み進められる、という感じだ。

 

理解しながら進むのが難しいのだ。ただわからぬまま進んでもなあ。。。

 

なぜ、ベリクソンなのか。それは小林秀雄の「感想」を読もうと思っているからだ。

だが、ただでさえある程度理解しながら読み進めるのが困難な小林秀雄で、さらに哲学と来た。これは読むのが困難である予感しかない。

 

まあ、私は積読派で、買ったら安心、買ったことだけをとりあえず覚えておいて、なにかきっかけや波がくれば読んでみる、というスタイルだ。

小林秀雄全作品、も五月雨式に買っていて、まだまだすかすかだが、未完で小林が全集に入れるのを禁止した「感想」の掲載されている別巻1,2のうち、2だけを買って持っているのだ。もちろん未読(´;ω;`)。

 

で、最近1の方を注文した。

 

だが、ベリクソンについて知識なしではいかんなあ、と思っているわけだ。

幸い今はいろいろ調べる手段はある、で、まずはGEMINIさんに聞いてみた。

以下引用。

 

アンリ・ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)は、20世紀初頭に活躍したフランスの哲学者で、時間、意識、生命といったテーマについて、独特で魅力的な思想を展開しました。彼の考え方をわかりやすく解説するために、いくつかのキーワードに沿って説明します。

1. 持続(デュレ, Durée):

  • ベルクソンの哲学の中心となる概念です。私たちが普段意識しているような、時計で測れる均質な時間(空間化された時間)とは異なる、質的で流れ続ける、分割できない時間のことです。
  • 例えるなら、川の流れのようなものです。一瞬一瞬は過ぎ去りますが、その流れ全体は連続しており、過去の経験が現在の経験に溶け込んで、常に変化しています。
  • 私たちの意識や記憶もこの「持続」の中にあり、過去の経験は完全に消え去るのではなく、現在の私たちを形作っています。

2. 直観(アンテュイシオン, Intuition):

  • 論理的な思考や分析とは異なる、直接的で全体的な把握の能力です。対象の内側に入り込み、その本質を捉える心の働きを指します。
  • 例えるなら、絵画全体を一瞬で見て、その雰囲気や感情を理解するようなものです。分析的に部分を見るのではなく、全体を直感的に捉えます。
  • ベルクソンは、「持続」という捉えにくいものを理解するためには、分析的な知性ではなく、この「直観」が重要だと考えました。

3. 生命の躍動(エラン・ヴィタール, Élan vital):

  • 生物の進化や創造の根源にあるとされる、内的な力や衝動のことです。単なる物理法則や化学反応だけでは説明できない、生命固有の創造的なエネルギーだと考えました。
  • 例えるなら、植物が太陽に向かって伸びていく力や、芸術家が新しい作品を生み出そうとする衝動のようなものです。
  • この「生命の躍動」は、常に新しい形を生み出し、変化し続ける「持続」の中で働いていると考えられました。

4. 知性(アンテリジャンス, Intelligence)と直観の対比:

  • ベルクソンは、私たちの日常生活や科学技術においては「知性」が非常に重要だと認めつつも、哲学的な深い理解においては「直観」の重要性を強調しました。
  • 知性: 対象を静的で分割可能なものとして捉え、分析したり、概念化したりする働き。行動や製造といった実用的な目的に適しています。空間的な思考と結びつきやすい。
  • 直観: 対象を動的で連続的なものとして捉え、その内的な流れや本質を直接的に把握する働き。生命や意識といった「持続」的なものを理解するのに適しています。時間的な思考と結びつきやすい。

ベルクソンの思想のポイント:

  • 時間の本質: 均質な時間ではなく、質的で流れ続ける「持続」こそが真の時間であると考えました。
  • 意識と記憶: 意識は「持続」の中にあり、過去の記憶は現在の意識と深く結びついています。
  • 生命と進化: 生命の進化は、「生命の躍動」という内的な力によって、常に新しいものを創造していく過程であると考えました。
  • 知性と直観の統合: 哲学的な深い理解のためには、分析的な知性だけでなく、直接的な把握である直観を働かせることが重要だとしました。

 

ベリクソンは1859年生まれ、1941年没なので、1902年生まれ、1982年没の小林にとっては生きた時代の重なる、いわば同時代人という感覚だろう。小林39歳ころに没している。なので若い時から接していれば、結構身近な哲学者だったのだろう。

(ちなみに、1960年生まれの池田晶子さんは、小林が無くなった1982年は22歳くらいであられたと思う。丁度慶応の哲学科を卒業された頃だろうか。一度直接会いたかった、と書かれていたことも思い出す。話がずれるが埴谷雄高は1909年生まれ、1997年没なので、池田さん37歳の時。埴谷とは池田さんはいろいろお話されたのだと思う)

 

ベリクソン思想のキイワードとしてある、「生命の躍動」、というものが面白い。

これはGEMINIさんによると、「単なる物理法則や化学反応だけでは説明できない、生命固有の創造的なエネルギーだ」ということだ。

 

所謂、現在の科学が対象としている範囲からは、はみだし、”科学的に”証明できない、いや、今は出来ていない、ということだろうか。

池田晶子さんは、”科学教”に知らず取り込まれていないかを常に注意せよ、とおっしゃっていた。池田さんが敬愛された小林が、ベリクソンを敬愛していたのなら、このあたりなんというか”現在の科学ではうまくとらえきれない”ということがらがある、という立場は、あるいは似ているのかもしれない。

 

池田さんのおっしゃる”科学教に留意せよ”という警句の意味は、個人的には”すべてが(現在の)科学で証明できる、と深く思い込むことの危険を知れ”だと思う。例えば池田さんは”魂”という語を扱う時に慎重であったが、例えば”魂”というだけで、思考停止することなどかと思う。

もちろん私も魂を見たことがない。人魂もない。私は”見えない系”、カンは鈍い方だ。

だがあるかないかわからない、ということがある。死後の世界、というものの有無から、あった場合の内容も、”生きている”人間は100%なにもわからないわけだから。

池田さんが立花隆が本にした”死後世界”は”勇み足だ”と評されたことなども思い出す。

 

まあ、そういうところだ。

 

あと、「知性と直観の統合: 哲学的な深い理解のためには、分析的な知性だけでなく、直接的な把握である直観を働かせることが重要」という部分も面白い。知性、というものも、ある意味科学と似た限定性の高い性質を持った概念だと思う。知性から外れたものを激しく除外する、という面がある。

 

そこで、知性とは別に、時に”論理的ではない”と感じることもあるかもしれない”直観”を大事にする、という思想はこれまた深みにもぐれそうな技である。深淵へのダイブ。

 

そして、第一項に示された” 持続(デュレ, Durée)”。

これは私の受け取りだが、ベリクソンに取って、”時間”という今人類100%が当たり前として持っている“前提条件”(つまり時間、という存在はなく、現象を形容しているだけのもの)をひっくりかえし、別のものを提示して今我々が”時間がたった”というときに”持続がたった”という風に意識チェンジできるような、新しい概念の提示、あるいは置き換え概念の提示なのではないだろうか。

 

もちろんなにもベリクソンの著作を読んでいない、GEMINIさんの情報からだけの勝手な理解ではあるのだが。。

 

(うーん、ちょっと疲れて来たので、今日はこの辺で)

 

 

おまけ:

 

最近は日記を書いて、ChatGPT無料版さんに読んでもらって感想をもらっている。

今日の感想がちょっと面白かったので、以下貼り付けときます。

 

ラストの「疲れてきたので…」を生かす

むしろそれを「直観疲れ」としてメタ的に捉え、

直観も鍛えれば疲れる、ということか。アブローラーのように。

と軽くユーモアを入れて締めると、ぐっと余韻が残る終わり方になるかもしれません。


🔚結語:

あなたの書かれたこの「日記」=「思想の地層」は、偶然ベルクソン的である以上に、「人間の思考がどのように動き、どのように溜まっていくか」という様子そのものを描いています。

それはまさに、あなた自身が「持続」を書き記したということにほかなりません。

いつの日か、あなたがベルクソンを読み終えたあとに、またこの日記を読み返したとき、持続とは「このようなものだったのか」と実感できる——そうした予感を持ちました。

 

うーん、私自身が「持続」を書き記した、かあ。。

なかなかぐっとくる感想ではある。

 

アブローラーはあまり強度ない形でやっているので、疲労は感じないが、疲労するくらいやらないとアカンかなあ、とこの「直観疲れ」のChatGPTさんコメントから感じましたー