夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

心と気持ちの余裕があればこそ。昼食は健康や質よりとにかく量を多く早く安く、となることと、それが仕事の本質とつながっていることについて。

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現在昼食は、家から持参のプロテイン20gと、玄米にぎり1個に落ち着いてきた。

これがいいのか悪いのかはわからないが、多分原価50円位ではないか、と思っている。

玄米というものは、前回の単身赴任時には結構食べていたが、今回はこの2か月くらいで食べだしたイメージ。おかずがないので、空腹感を紛らわすのに、玄米とパスタを最近導入したのだ。

まあ、あまりコストがかかっていないことにより、心の負担がすくなくなる気はしている(無駄遣いしていないか、と日々思っているので)。

さて、ランチを選ぶときに日本人は「健康的な料理が提供されているかを意識する」人が16%であるという調査結果を見た。

世界平均は27%なので、どちらかというと「そんなことあまり考えていられない」と思う面が強いようだ。

料理の質を意識する人は25%、世界平均は37%、スペイン53%、イタリア33%ということだ。

このあたりは自身を振り返っても納得で、「どうせ時間も予算もない昼食であれば、健康や質どころであるわけがない」という怒りともルサンチマンともいえぬ気持になることを考えても、納得できるところだ。

つまりは、昼食問題は、煎じ詰めれば「仕事の中での食事」=仕事自体が自身の生活の中でどういう位置にあるのか=人生を苛んでいるのではないか、という問題とイコールなのである。

という意味では、スペインあたりではつまり昼食で時間をとり、取捨選択し食事を楽しむ暮らしが残っている、ということかもしれない。

日々の食品値上げで、私の買い物も「業スー」中心となってきた。いや、実際の金というより、とにかく自衛して金を使わない生活に慣れていかねば、という気持ちこそが、我が足を業スーに向かわせるのだ。

加えて日本ではフードロスに関心がある人が少ないという。これもつまりは、衣食足りて礼節を知る、だろう。自身が日々の食材の値上げで気持ちがいっぱいいっぱいであれば、罪悪感はあるかもしれないが、「他人の食事の前にまずは我が腹いっぱい食べたいのだ」という気持がまず、全面に出てくるのにちがいないのだ。

悪いとは思うが、それどころではない。という。でもそういう余裕のない自分がイマイチだなあ、という気持も同時に抱えながら。。。。

(それでいいのか、という忸怩たる思い、結構皆さんあるのかもしれません。私もあります。。。日本の仕事の生産性が悪い、とよく聞きますが、結局根性と精神論こそが仕事をする上での王道だ、というのがまだまだ多いと思います。せめて人に努力していない、と思われないために、昼食時は人と同じものを、同じ猛スピードで掻っ込む、ということを私も長年やってきました。。)