夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

身体を育成するためには食料、精神を育成するためには知恵。

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今朝の体重65KG,体脂肪9.8%。

まだかすかに頭痛が残っている。熱中症は尾を引く、というが、すっきりしない。今日も暑いので、無理はしないようにしたい。

今日も7時間ほど眠った。いつもは4時に起きているが、5時過ぎに目覚めた。すっきり、とはいえないし、寝汗でベトベトではあるが、布団から薄めの掛け布団にしたので、汗の量は減った気がする。

出がけにまた浴室に布団を突っ込んで、乾燥をかけて出てきた。

 


今の家に住んで、引っ越し初日に大家さんらしき人と話した。その後朝見かけるたびに挨拶しているが、反応がない。会社ではそもそも反応がなくとも人の影をみかければおはようということにしている(反応あるなしでいろいろ考えるのも面倒)のだが、そのスタイルで行って、反応がないことに大家さんらしき人の場合は気になることに気づいた。

で、挨拶することをやめることにした。都会では人とかかわることを避ける人もいるだろう。会社ではとりあえず挨拶をロボットのように行っているが、反応がないことで怨みがましい思いが起きるようであれば、挨拶しないほうがいいかもしれない、と思ったのだ。

今朝も見かけたが、挨拶しなかった。挨拶を返さないと腹が立つ、というのならしない方がいい。いろんな人がいるのだから、と思うことにした。

するとけっこうすっきりした。いままではとにかく挨拶をし続け、こんなにこちらが挨拶しているのだから反応せいや、という気持に疲れていたのだ、これからはしないことにしよう、と思っている。


ソクラテスプラトンはその著書で、魂の世話、ということを語らせている。

魂があるのか、ないのか、ということはひとまずおいて、普段暮らすこの肉体は、日々食べるものや、運動量が如実にわかりやすく反応するもののことである。

より見えにくいものは、精神、あるいは「魂」だ。池田晶子さんも魂、という語は扱いが難しいということを前提に、いろいろ考えてらっしゃった。

そしてこの見えない、仮に「魂」とすれば、そこにいわゆる身体を保持するための食料と同じく、さまざまな知恵を与えてゆくことにより、身体のように変化するものであるだろう。見えないが。

そこで、「本」だ。本、とは文字で書き表されたもの。それが優良パッケージとして提示されているのが本屋である。

出版社や作者は編集者は、調理人のようなものだ。このひとたちが腕がいいと美味しい文章を入手できるのだ。

WEBの海はどちらかというと、雑草が広がる原野のようなものだ。そこにはたまに美味な果実がなっていることがあるが、基本自身でけっこう必死で探す必要がある。

古本屋、というのは、セレクトショップのようなものだ。店主が商品を選んで見せる。洋装一般なのか、ゴスロリか、アート系か。店の傾向をしって通えば、その分野での掘り出し物が見つかるだろう。

新刊書店、全国チェーン店、レンタル兼業、という店舗は、若い人向けの売れ筋を中心に全国一律で本を配備するので、欲しい本を買ってしまえば、あとは棚をみることは少ない。

古本屋であれば、全ての世代の本がある。

そして、7月31日に閉店した名古屋のちくさ正文館さんは、店(主に店主であろう)のめききで棚を作っている。なので、初めて行ったときは、「これは古本屋と似ているな」と思ったものだ。

だが、古本屋と違うのは、普通の本屋にはない、しかし絶版になっていない本で、その分野でのきちんとした、あるいは尖った本が、提示できるところだろう。雑誌のバックナンバー(ユリイカとか)も混然と棚に差し込まれていたのもよかった。

ユリイカあたりのバックナンバーは、まとめて置いてあるところもあるだろうが、関係した棚に刺されているのがありがたい。普通は最新号以外は、もう基本古本屋(それもブックオフでは結構難しい)あたりで探すしかないのだ。

たまたま私は神保町にいるので、古本屋があるが、普通はないはずなので、これはもう存在をしったらアマゾンの古本やメルカリあたりで探すことになる。

それが新刊書店で手に入る、というのは、私の経験ではこの本屋でしかなかったことだった。

ブックオフも、経営に書店系の資本が入ったからか、ちゃんとした本は本当に高くなった。昔はセドリが流行ったが、最近はどうなのだろうか。

だいぶ雑感になったが、そもそも物質として紙の本を購入するのは面倒だ、というのが最近の機運であろう。場所を取るし、捨てるのも面倒、メルカリも面倒、ということになる。情報だけなら電子書籍で十分である。

新聞、雑誌、書籍は多分この先10年でさらに見る影なく縮小するであろう。そうなるとそもそも本に親しんでいない人が、気軽に古本屋に行くとも思えない。古本価格も落ち込むであろう。

という未来が、間違いなくやってくる、ということを、ちくさ正文館の閉店は象徴しているのであろう。

(個人的にはとってもさみしいですね。。。)