夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

考えないようにしていること。

食べる、とは何かを殺して食べること。

人間も動物。

 

野生の映像、特に肉食獣が草食動物を捕獲して食べているところなどを見ると、まず「可哀そう」と思う。

そしてこの「可哀そう」が非常にやっかいな、といってはつらいか、非常になんともいえないものだ、ということも微妙に感じる。

なぜならば、我々人間も「殺して、食べている」からだ。

 

直接殺さず、結果的に食べている。そしてそのことを通常意識していない。

そういう意味では、直接捕食しているライオンのほうがすっきりしている。

勿論ライオンは「すっきり」するために捕食しているのではない。だから「可哀そう」と思うことが偽善だとか、そう思ってはいけない、ということではない。

ベジタリアンになればいいのか?植物も生物だ。

 

そのあたり身につまされた一つの記憶は、「GANTZ」だ。あの物語で人間は、エイリアンが捕食し、食べる対象となる。

エイリアンはけしからんのか。けしからん。であれば人間も「けしからん」のだろうか。

そうおもうと、もうなんにも食べられなくなってしまう。

 

いま私が思うこと。必要な時は(間接的でも)殺して食べるしかない。

動物も、植物も。

なので、殺す必要がないときは、極力殺さないようにしよう。

このあたりだろうか。

 

なんだかこれも偽善のようだが、蚊以外の虫が家に入ってきたら、外に出している。蚊は、かゆくて(これは蚊の所為というより、人体の防衛システムのせいなんですね)考える間もなく殺してしまうが。

ハエも微妙だが、個人的にはなるべく入れず、入ってきたら外にいってもらうことにしている。

(植物にも、なんらかの「意識」に類した機能があるようにおもいます。。)