我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない。
自らを詩人と呼ばれることを好んだコクトーらしい言葉だと思う。
各人の中の”天使”は時に始めは醜く見えるのかも知れない。
運命の女神たちは老婆であるが、老婆は老婆として生まれたわけではない。
(そのことを永野護は5つの星の物語の中で示した)
コクトーはこうも言っている。芸術は生まれた時に醜くみえるが、時が経って美しくなる、と。一方で流行は生まれた時は美しいが、時が経つと醜くなる、と。
一部のベストセラーなどで、そのように思うこともある。
だが更に一回回って、流行が回帰することもあるだろう。その時再びいまひとたびの美をまとうかもしれない。だがその美を感じる人々の数は多くはないのかもしれない。
天使が天使であると知っているのは、その天使を内に秘めるものだけかもしれない。うかつに露出すると、その本質である”美”を多くの人は見つけられぬかもしれない。
その過程を事前に感じ取って、ひとは自らの美=天使を保護すべきである。
そして保護は失敗に至ることが実は残念ながら多いのだろう。
保護できなかった天使を、死児のように悼むことがないように、
慎重に、慎重に。。