夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2月15日 やった後悔、やらない後悔。

うろ覚えなのだが、人生の終わりに人が思うのは、”もっと好きなことをしておけばよかった”とか”あそこであれをしておけばよかった”ということだと聞いた気がする。

f:id:mamezouya:20240215075224j:imagef:id:mamezouya:20240215075230j:image

私は失敗が嫌いで、失敗しそうなのでやらない、という事がよく自身の中で言い訳になっている。だが、そのことを免罪符にしすぎると、いろいろなトライアル、それをきっかけに広がる世界を閉じてしまうことにもなるだろう。

 

身近なところでは、”カネを使わない”。浪費のあまり食費を削って健康を害する、ということになるよりは、カネをなるべく使わずながら、健康に最小限留意した食事が出来る最低限のものは臆さず購入する、というほうがいいだろう。

 

だが問題は、”とにかく節約すればいい”という”自動運転モード”になってしまい、結果引き籠ってしまうことだろう。まあ、健康に留意、という項目も自動で走らせておけば、散歩や自転車乗り位はやるだろうが、とにかく新しいことにトライすることはカネの無駄遣いである、という気になりがちであることに、自身で節約モードに入ってみて、気が付いた。

 

なので、新しい出会いがありそうな場でも、”電車賃がない””その場で飲み物を注文せねば”などというリスクをぼんやりと考えて、”ではもう行かない方がいい”という感じなることが最近多いのだ。

 

そういう場での出会いが、結局新展開になることが経験上多いのだが、これこそ「金の切れ目は縁の切れ目」、この格言はどちらかというと男女関係等ネガティブな場合に多用するので、特殊な時にしか使わないが、本来はすべての出会いに該当するものなのだろう。

 

そういうところを認識すれば、全てを節約するのではなく、月に一度位は、文化的な場所や美味しいB級グルメ((笑))を楽しむ費用を意識して持つ方がいいのだろうと、思っている。

 

(いいことしかない、ということなら自動モードもありですが、例えば”歩く”でも自身の状態をきちんと意識せねば、歩きすぎて関節を痛める、なんてことがありましたからねー)