夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2月14日 身近なドラッグで価格比較。世界は成熟に向かっているのか。

家のそばにドラッグストアが3軒ある。一番遠いところでも直線距離で行けば300m位だろうか。

 

私はディップとヘヤフォームと電気シェーバーローションなどが必須で必要だ。

 

で、どの店が一番安いのかを考えずに買うと、”ああ、もっと安く買えたのではないか”という例の”住宅ローンストレス”が発生するのがわかってきた。

f:id:mamezouya:20240214074112j:imagef:id:mamezouya:20240214074128j:imagehttps://passage.allreviews.jp/store/GA6VR2WOVVRRSYHDGRPHWP4M

ので、昨日夜、3店舗を回って、各商品の価格を写真で取って、比較してから購入した。

 

店は、キムラヤ(これは家電系?)とマツキヨとココカラファインである。

 

いろいろと気づきがあった。

 

結局キムラヤとマツキヨで買うことになった。3店を見てわかったのは、ココカラファインはマツキヨ系、あるいは提携をしており、マツキヨオリジナル商品がおいてあるのだ。

 

マツキヨのほうが、特売がおおい感じもあり、結局マツキヨで買えばいい、ということがわかったのだ。

 

ものによってはだいぶ価格が違っており、例えば柳屋のディップはマツキヨ525円(税込み)、キムラヤ712円(税込み)で187円差、なんと26%も差があった。

 

一方ギャツビーのスーパーハードフォームは、キムラヤ650円、ココカラファイン878円ということで228円の差。こちらも26%の値差であった。

 

期間限定値下げ等はあるだろうが、これだけ差があるのであればしっかり値段を見て買ったほうがいいだろう。何しろ差額で卵ひとパックは買うことができる位なのだから。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

人間と同じく、世界というか、この世も変化して"経験”している。

 

擬人的に表現するとここで世界は”神”とかと表現されて、神なんているのか、とか私は神を信じない、といった言い方になるが、そこは人格神がいる、いないとは別の次元でだ。

 

また”時”というのは人間の発明で、そもそも”時”はない、というのが個人的な感覚ながら、”時”はなくとも”変化”はある。変化があるならそれが”時”ではないのか、という意見もあるだろうが、時無き永遠の中をすべてのものはたゆたっている、という感覚だ。

 

変化、を経験、と自身に似せて考えれば、例えば日本国という地方の人々は、周りが海、ということで船が発達するまでは太平の夢を永遠に思えるように過ごした(といっても様々な問題はあったろうが)封建時代を経て、船の発達による侵略のリスクを勘案しての開国、その後他者(他国)を意識した”横並び、ムラ意識”を海外諸国まで広げた形での文明開化、という形での変化をなかばリスクからの選択として選ぶことになった。

 

その後の2回の世界大戦、各地の紛争、冷戦などを経て、日本は特有の地震やそれに関連する災害を経た。

 

そして人口ピークからの減少。これも起こるべくして起こったものと考える。自身の分身とより思えるようになった子供(農耕時代であれば、分身というよりはマンパワーであり、医療の状況から幼児はすぐにちょっとしたきっかけですぐ亡くなるものであったろう)が、よりよい生活をしてほしい、と思う割合が多数となり、では両親2人から多くて2人、1人の子供を持つでやっと、と考えるのは極めて普通であろう。

 

国が金を継続的に払ってくれて、無料、或は低費用で子供がある程度大卒まで育つ、というのであれば、それでもやっと2人に近づく、ということだろう。仕事にずっぽり入ってしまえば、そこからいまや当たり前ではない”結婚”に向かうのは、一人暮らしのきままさ、性的な自由度がある程度ある中では、やはりもうすぐ少数派となるのではないだろうか(あるいは”贅沢な”所作)。結婚以外で孤独を解消するようなコミュニティが発達すれば、より比率は高まるだろう。

 

で、期間は不明ながら人類はその数を減らすだろう。今はアフリカ等で人口が増えているが、時間を経れば間違いなく同じ傾向となる。世界人口が減るのは、あるいは数百年かかるのかもしれないが。

 

で、人類は最後の最後は数人になるのではないだろうか。寿命や内臓再生などの問題もある。人類の寿命はそのうち200年以上になる気がする。だが、そんなところで互助制度たる年金が継続するわけはない。

 

年数はわからないが、どこかですべての”生き物”というものはいなくなるのだろう。人類のあと、あるいは昆虫がこの世界をドミネントするのかもしれない。だが結局同じ道を辿るはずだ。

 

そこで、”GAME OVER"。

 

別に人格神がいてゲームをしているわけではないが、状況としては”神”が”時”という条件で、シーモンキーの養成のごとく、生命というもので、遊んでいる、と客観的には見えるのである。

 

破滅への道だが、それは部分最適、個人ベースでは幸せになっていく、という過程を経ての、ものとなるだろう。

 

(という意味では、成熟という名のカタストロフに向かっているのかも、しれませんね)