夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

下線。

引き続き絶賛増量中である。あるのだが、今朝は朝食後で63.7kg、筋肉量54kg、体脂肪率10%くらい?であった。

昼食後ではある、のだが、目標の63-64kgに近づいているようだ。とにかく、食べ続けている。そしてあまり歩いていない。これだとやはり太るようだ。痩せたり太ったり、忙しいことではある。

あまり歩かなくなったのは、帰宅後疲れ果ててすぐに寝てしまうことが理由の一つである。運動して、眠るのはいいではないか、ということなのだが、

①食べてから2時間経って寝ないと、胃腸への負担がかかる。

②家族とのコミュニケーションが取れない(眠くて)

というデメリットもある。

で、まあ、一日1万歩はできれば行いたいが、まあ、8000でもいいか、ということで緩くした。

 

下線。

 

哲学とは、問題の答えを出すためのものではない。答えがない問いの下に下線を引くものである、ということが言われる。

答えがない問い、とはなにか。

神と存在

無と有

といったところだろうか。

 

ゴーギャンに言わせれば”私たちはどこから来て、どこに行くのか”というところか。

ゴーギャンの問いにも、上記の大きな「?」が複合的に含まれているように思う。

そういう意味では、絵画もまた、問いの下に下線を引くものといえるだろうか。

もう少し現実的(すなわちすこし近視眼的)になれば

 

これからの世界の行方、

脳死は死か、(クローンや下段のAIとも関連?)

人類はどこへゆくか、グローバリズム、AI、核、原子力、民主主義、少子高齢化、コロナ、

 

といったところだろうか。

答えはないし、これが正解だ、と決める”絶対的審判者”もいないだろう。

ある時期正解に見えても、さまざまな要因や変化で答えも変わってくるのだろう。

 

やはり、考え続けること。その姿勢と、覚悟と矜持。

 

そんなところが、必要なのだろう。

(ちと、硬くなりましたが汗)