夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

画家は見ている時に描く。

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今日の体重64.1kg,体脂肪9.6%.

昨日は足助、香嵐渓と言う愛知県では代表的と言うか、ほぼここしか無いやん、と言う紅葉狩り観光地に行った。

6時に家を出発、6時23分の日の出☀️のはずだが、曇っていた。まあこの天気だからか、思ったより道は混んではいなかった。一本道なので渋滞するのだ。

初めは香嵐渓より少し先の公園へ。ここは見頃は既に過ぎていたが、まだ真っ赤な紅葉は場所により残っていた。
そのあとに香嵐渓に。
逆にこちらはまだ紅葉前で、ここ数日の冷えで見頃は来週かもしれない。
見頃になると行き着くのも大変だろう。いわゆる観光地のアイテム、出店はたくさん出ていた。犬を連れた人が妙に多かったのはなぜだろうか。

五平餅、鮎の塩焼きが定番のようで素直に楽しむ。猿回しが来ていた。

 


冒頭の言、孫引用ながら画家の山口晃さんがおっしゃっていたと言う。

山口さんの作品を拝見してこの言葉を味わうと、納得感がある。

fun to draw

とでも言おうか。絵を描く時の他人の眼線を
自身の中でどう処理するかの話であろう。

長らく会社員(今もそうですが)をしながら一人きりで苦悶とどこか人生どうするの感と共に足掻いていた時期があった。

その後第一回めの東京単身赴任の際、ご縁を信じて意を決して新宿曙橋の銅夢版画工房の門を叩き(実際はドアを押しましたが),

そしてあれから7年が過ぎたが、曲がりなりにも"銅版画"の世界を楽しんでいられているのは、

僥倖、と言うべきだろう。

私の中に"何かを作りたい"と言う想いがあることに気が付いたのは多分小学校2年くらいだろう。

カッコいい絵が描きたい

そんな想いが勃然と湧いた時の事を今も覚えている。

印象的な出来事と言うものは、結構残っているものだ。

その想いをどう形にしたらいいのか

そう自問し続けていた気がする。

 


その答えなのかはわからないが、色々考えながら作品ができて、それをただ見ていると、単純に幸せを感じている自分に気がついた。

そう、自分で描いたものを見ているだけなのだ。


自己満足、と言う表現の中には他人の眼を気にする気持ちが含まれている。

言い訳、と言おうか。

それから離れて、言わばエックハルトのいう"離脱"をすること。

離脱の中に揺蕩う事、

なんだかそれでいいのかな、と言う気がする。

 

 

 

 


あるいはこれが冒頭の山口氏の言葉に

少しだけ繋がっているのかもしれない。

 


そんな気も合わせてしている所である。

(解脱、離脱、放下。なんとなくそう言う言葉が気になっています。)