夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

玄米とパスタはグラムあたりどちらが安いのか、業務スーパーで買ったパスタとアマゾンで買った玄米ベースで考えてみたことと、神秘学についてなど。

f:id:mamezouya:20231106064322j:imagef:id:mamezouya:20231106064328j:image

今日の体重64.2kg、体脂肪11%。

昨日の夜はパスタを想定200g食べた。これである。怖いのは。

5kgのパスタを業スーで買ったのはいいが、いっぱいあるから、とつい食べ過ぎてしまう。大量に買う事の怖さだが、簡単に行けるわけでもない(し重い)ので、どうするのがいいか。

だがまあ、こうした自身の心の弱さに起因する問題に接することも、ある意味人生の醍醐味ではあるのだ。問題発生、どう考えるか、という。

覿面に体脂肪率がアップするのは、自身での人体実験のようで面白くもあるが。。

5kgの玄米もアマゾンで注文した。3か月の定期便にして10%引きの約2000円。5キロを何か月で食べきるか、というのも一つの実験になるだろう。5キロのパスタは約1000円(500gx10、@100円)、玄米は2000円ということで、”あれ?玄米のほうがだいぶん高いな”とおもったが、考えてみると玄米を炊くと水分を吸って重量は増すはずだ。

米1合は約150g、炊きあがりは350gという。すると2.3倍に増えることになり、これは白米の計算ではあるが、玄米でも2倍くらいと想定できるだろう。

一方でもちろんパスタもゆでると重量は2.5倍になるというので、やはり断然重量比の価格でいけばパスタに軍配があがることが分かった。勿論ここで500g200円位のパスタを買ってしまえば同レベルになるのだが。

あとは玄米とパスタの含有栄養素面でも考える必要があるだろう。なんちゃってグルテンフリーを長年続けているが、パスタの量が多くなると身体面でどのような影響が出てくるかも気になるところだ。まあ、パスタはGI値が白米より低く、血糖値スパイクも起こりにくいようだが、玄米とパスタはどちらがGI値が高いのだろうか。

玄米のGI値は56,パスタは65であった。白米は84なのでだいぶ玄米はいい感じだ。

高いところではどらやき95,大福88、食パン91,白砂糖109。インスタントラーメン73.

思ったよりインスタントラーメンは高くない。パスタと似ているのだろうか。

白米と比べパスタはGI値が低いものの、玄米はそれより低い、ということになった。昼食に白米より玄米を食べたほうが血糖値スパイクが起きにくく、眠くなりにくいのかもしれない。

パスタを乾麺ベースで100g食べた場合、

糖質は67.7g、ビタミンB1:0.19mg(体内で糖からエネルギーを作る働き)
鉄1.4mgなどがあるようだ。カロリーは347kcal.

今までは糖質少な目と思ってきたが、糖質が少ないと筋肉がエネルギー源として使われるとのことなので、最近はすこし糖質を摂るようにしている。

一方で玄米の栄養素はどうだろうか。

玄米1膳(160g)あたりで見てみる。(なんとなくおにぎり1個分?)

ビタミンB1:0.26mg、鉄0.96g、糖質54.72g、カロリー244kcal.

244kcalを消費するには、WALKINGで92分必要という。けっこうなエナルギー量である。だがパスタは乾麺ベース100gで347kcalもある。まあ、2.5倍になるのでゆであがり250gなので、同じグラムで見れば玄米とにたようなものだろうか(玄米160gで244kcal、250gとすると381kcalとなる)。

まあ、昨日の夜想定乾麺200g、ゆであがり500g?を食べたので、今日の体脂肪率は納得のところだ。

あと勝間さんのメルマガを見ると、小麦粉を食べると下っ腹が出るが、グルテンフリーで米だと引っこむ、という感想であった。

個人的には下っ腹は出てほしくはないので、これはちょっと考えるべき点であろう。

 


さて、現在開催中(これを書いているのは11月1日)の神田神保町の古本まつり。ふらふらっと入った店舗でつい神秘学関連の本を3冊買ってしまった。

私はWEBで高橋巖先生のシュターナーの口座(朝日カルチャーセンター横浜)を昨年受けていたのだが、御年93歳とも思えぬ失礼ながら青年のような気配をWEB越しに受ける先生の姿にも、大変感銘を受けたものである。
(現在は転勤して残念ながら続けられなかったが)

買った本で一番古いのが、1982年刊の荒俣宏氏との神田神保町三省堂で3回にわたって行われた会談を収録した「神秘学オデッセイ」という本である。

1954年生まれの荒俣さんは、慶応大学在学時に「仏(=落とさない)」の高橋先生のドイツ語の講義を聞いた、ということだ。たしかそのテキストがイエイツ(だったかな)で、ベートーベンの歓喜の歌、これは日本では年末にみんなが良くわからぬまま聞いて、ドイツ語?がわからないので「お風呂にいこうよ」などという暢気なイメージしか湧かない歌謡曲のレベルで認識している歌が、実は神秘学にもつながる深淵な意味を含むものだということを個人的にも知った。同書発刊の1年前に「世界神秘学事典」を編んでいる35歳の若き荒俣さんの迫力も感じる良書であった。

私も文学好きな法学生であったので、その点でも荒俣さんには親近感がある(慶大ではありませんが。。)。

現在改修中の神保町三省堂であるが、その40年以上あとに旧三省堂店舗から数十メートルの古書店にて、こうした本を手に取るご縁を、感じるところである。
(高橋先生は、ご自身のいわゆる神秘学(神智学、ともおっしゃっているようですが)へのアプローチとして、”努力すればするほど不完全にならざるをえない人生にどのような意義があるのかということを、神智学なり神秘学なりに即して考えていくということをせざるをえなくなってきたわけです”(同書P.26)という言い方で示されています。その後たゆまず問われ続けたことが、93歳でのカルチャーセンターでのご講義につながるのか、ということもまた感慨深く感じました)