まっとうな殿方であれば、ユニクロ以外の服を持ち、爪の手入れをし、コンビニ弁当やラーメン以外の食事をする、との記事を読んだ。
http://toianna.hatenablog.com/entry/2015/12/21/193350
なんとなく心に残ったので考えてみた。
これはつまり、他人に心を開く余裕を、気持ちの中で持っているか、ということになるのだろう。
単純にユニクロがいけないのではない。気づくと自分も靴下からシャツ、会社でのシャツまでがユニクロだ。
それがいけないのではない。なんでも揃う店以外に行き、ユニクロより高い価格の中から好みのものを選び購入する。それは実は面倒である。何のためにするのか。
一つは自分の外見を整えるため、つまり他人の視線を意識しているか、ということだ。
爪もそう。手は自分以外の世界にアクセスする道具である。それに気を配ることは、自分以外の世界と適切にアクセスしたい、ということでもある。
コンビニやラーメン以外というのもそうだ。とりあえずのカロリーを補充するが、そのときの栄養バランスや肥満への可能性などはとりあえずおいておく。
自身のこれからの方向性の放棄。
こうした精神の傾向が、上記の生活態度から容易に推し量れる、ということであろう。
なるほど。
で、男として感じるのは、めんどくさくなると、そういう世界へゆくのが非常に楽である、ということだ。
現在単身赴任中ということもあるが、24時間スーパーを除いては、昼間にやおやに行くことは不可能である。また、行けたとしても、オッサンはやおやとなんとなく親和性に欠ける。
今日はこれがやすいよ、という問いかけへの回答不可能。小銭のやりとり。
こうしたものを排したところがコンビニだ。価格が定価だがとりあえずは事足りる。
一人で暮らすと、そういったものを否応なく思い出すことになる。
だから前出の3項目、生活人として当たり前を言われても、これが結構ハードルが高いのだ。
そしてそれがないと、他人に心を配る余裕はなくなってくる。めんどくさい、というコトバとともに。
何が必要なんだろう。
多分、希望や夢、というような心構えが、必要なのだろう。
将来へ向かう気持ち、生活人としてのパワー。
だがしかし、そこにパワーかけなくていいですよ、というのが、”コンビニ”という語の日本語訳ではあるのだが。。