夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2016年。

2016年となった。

「わたしたちは前を向いて生きているんですが、幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線の中に、ふくまれるような気がするんです」吉本隆明
福島智 ぼくの命は言葉とともにある P.226

”だから、さっき話していた書物に対する渇望も、書物そのものに対する渇望というよりも、その中で活発に働いている著者の精神に触れたい、それに同期したいということなんじゃないかな。理解したいというより、触れ合いたい。二人を隔てている境界線を乗り越えたい。”
内田樹 日本の反知性主義 P.229

正月も3日があっという間に過ぎた。基本的には寝正月と行きたいところだが、次男が受験とあってなんとはなしにふわふわした落ち着かない感じで過ごしている。

受験では面接があるとのことで、及ばずながら面接の指南本を親として僕も読んでみた。結構現在の時事問題点もろもろの把握が必要なようだな、というこれもうすらぼんやりした感想を得た。

で、新春対談。これは実は毎年密かに愉しみにしている読売新聞の企画である。1日と3日の2回に分けて掲載される。

本年は宗教学者山折哲雄氏と、読売新聞特別編集委員橋本五郎氏が対談している。山折氏84歳。橋本氏69歳。84歳の山折氏の発言には、氏の今までの思索の歴史の結果が出る。

まさに熟成した智の結実を見るような想いがした。

思わず切り抜き、風呂の中で再読した。ふにゃふにゃになった。

1日の掲載を何度か読んで、3日の掲載を読んだ。ぼんやりと問題点として感じていた現在の問題点が、示され、その対応案が示される。これはもちろん読んだものの意識や傾向により好き嫌いがあるだろう。

僕にはしっくり来た。何点か書き出してみる。

1.テロ

”狩猟社会にみられる部族対立の戦いが、近代社会の真っただ中に登場してきたといえる。”
”外交の力だけではどうにもならない。”
”食うか食われるか、ヒトとケモノの戦いに似てきた。原始的な命をいとわない争いが新しい装いをまとって出てきた。”
国際政治学者のサミュエル・ハンチントンが唱えた「文明の衝突」の時代に入ったといっていい。文明の二つの主軸は宗教と民族だ。その衝突が絡み合って、貧困、差別、紛争などを生み出している。”

2.日本的なるもの

”日本人の意識は3重構造となっている。森林社会と適合する価値観の縄文的な世界観、農耕社会的な世界観、近代的な世界観と重層化されている。キリスト教圏やイスラム教圏の歴史をみると、古きものを根こそぎにし、新しいものにして発展してきており、重層化の機能が働かない。この意識構造の違いから「日本人は曖昧だ」とも批判されているが、戦争や災害などの危機には右の3層構造の価値観を随時引き出して柔軟に対応してきた。これが豊かな近代化国家とした重要な要因だと思う”

3.野生化する人間の欲望をどうコントロールするか

”野生化すれば当然、戦争になる。これを抑制する文化的装置として最後に行き着くのは教育だ。”

4.「和魂漢才」

明治維新までは日本の心を大切にしつつ中国からの文化を柔軟に吸収する二重構造化に腐心してきた。”
”第2次大戦後、その精神が失われ始め、最近ではグローバリゼーション(世界規模化)が、日本独自の知恵や戦略を押し流してしまうような動きになってきている。”

5.宗教の無力さ

”宗教者が被災地の苦難の人々に向かう時、現代の人間にそれ(*)が通じないということは初めから分かっている。一般的に日本人には、確信的な無神論者はいないし、それとの関連で敬虔な信仰者もいない。古典的な宗教言語は通じなくなったが、それでも通じさせる言葉を発するべきではないか。宗教者自身も現代化してしない、そのための訓練もままならない。”

(*)引用者注:SNSの肥大化などにより、宗教の言葉が人の心に届かない状況を指す。

以上、1日の前半部からの引用である。思わず多くの言葉を引用させていただくことになった。

新聞を読んでいて思うのは、やはりこうした言葉の力、深い思索の結実を目の当たりにした時である。こうしたことをきっかけに、例えば今まで知らなかった人の著作に触れる。深堀りする機会になる。できれば毎日このような記事が掲載されて欲しいものだ。

新聞が持つ機能とは、情報伝達機能がまずは勿論だが、WEBの発達した現在、そのような思索の追加のような機能があってほしい。できれば新聞人による思索ではなく、山折氏のような形がありがたい。

そのような機能が社説だ、というのであれば、僕は今まで社説をほとんど読んだことがない。どうにも誘導が鼻につくのだ。公器であるのであれば、誘導は願い下げだ。山折氏のコメントは、こうした偏りがないように思った。さすがに84年間の思索の結実である、と思った。