人生とは極めて真面目な芝居であり、出来るだけ上手に芝居をしようとする努力が人生そのものだと言えよう。
小林秀雄 「或る夜の感想」
1949年ー1950年、小林秀雄47歳から48歳にかけての文章だ。
小林秀雄を読むとき、すこしく身を正したいような気がするのはなぜだろうか。高校時代には歯ごたえがありすぎて喰らいつけず、その後池田晶子さんの文章を通じて再度トライしてのち、やっとその滋味、深みの一端を垣間見れる気がした、という自らの履歴の所為であろうか。
そしてそれは必要であろうと思う。それは書いている本人が文章に真剣勝負だからだ。全身全霊を込めている。全ての自分の今を、今こうしてしかかけない書き方で書いている。
それを受け止めるにはエネルギーが要る。理解力が要る、気力が要る。
今なら何故高校生の時に読めなかったかがわかる。文章を読むことに真剣でなかったのだ。無論読むことは好きではあった。しかし真剣勝負の読者たりえていたのか。残念ながらそうではなかった。
今はだから、”ああ、今なら読めるな”とか、”疲れていて駄目だ”といことがわかる。”三上”というが厠、風呂、馬上なら現代ではさしずめ電車の中か、この3つ(風呂は本がふやけるが、読んだことを反復思考するという意味で)はさすが古人の知恵、頭脳が小林のいうことに、嬉しいことについてゆくことも、ある。
まあしかし、言っていることのとどのつまりは池田さんとあまり変わらない。悪い意味ではない。いい意味だ。真実はだれが言っても真実。だれが言おうとかわらない。かわるのならばそれは真実ではない。
そう思うこと頻りである。たとえば冒頭の人生についてはどうか。人生は無常。人生は芝居。芝居だからと断じて嘘ではない。真剣に芝居をしてきた人間だけが、人生の無情を、また言うことができるだろう。
不器用にぶつかり、貫いてきた小林、愚直に素直におせっかいに、真実を貫いた池田晶子。
死んだ人間はどうしてこんなに輪郭がはっきりするのか。無常ということ、で小林はそのようなことを言った。死して評価定まる。決して死ぬ前に評価がおかしかったわけではないだろうが、死して尚、というか死して益々、両者から眼が離せない。
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