夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

人生の思索  池田晶子のことば

だって、「考える文章」ということでしょう、貴方が生涯かけて追究し、実行してきたもの、それは間違いなく、考えることそのものの言語化なのだ。いや、「考える」を「感じる」と言ってみても同じことだ。精神としての我々が、生きて在ることに触れる瞬間この感触、芸術も学問もここにこそ発していると見抜いた貴方の言葉は、だからこそ我々の魂を射抜くだけの力を持つのですから。

 池田晶子 人間自身 考えることに終りなく 
 P.90 小林秀雄様 ランティエ。 2007年2月号掲載

2007年に刊行された”人生の鍛錬 小林秀雄のことば”を最近また読んでいる。僕が小林秀雄を読むときは、頭の中が整理できていなければならず、寸鉄の言葉でさえも、ボンヤリしたアタマでは意味が十分に味わえない場合がある。真剣に取り組むと、その分その深みに驚嘆し、しばし呆然とすることもある。

読んでいて、ふと池田さんで同じ事をしたらどうかな、というようなことを考えた。なんだか楽しくなって、では、ということで、書棚の池田本コーナ(小さなくくりで2段あるんですが)から1冊をランダムに、そして頁を無作為に選んでみた。

驚いた。選んだわけではないが、池田さんがいわばこの世でたぶん最後になった公開された小林秀雄に宛てたファンレター或いは知への愛(エロース)によるメッセージのページが目の前にある。同期、ということばがアタマに浮かぶ。

人生をかけて考えてきた池田さんが、同じく人生をかけて書くことに真剣に取り組んだ小林に、どうしようもなく共感するところあますことなく書いてある。

本来であればその項すべて書き写してもまだ足りないところではある。小林の言葉を記す前出の新書のひそみにならえばそうなる。しかし、選べないなあ。

どこがいいとかわるいではなく、とにかく一部を書き写す。それが文頭の部分。どころ切りとっても珠玉の言葉ばかり。人生の秘訣が、そこに記されていた。

池田さんは2007年2月23日に亡くなられている。ランティエ。の2月号に発表されたこの文、書かれた時期は不明だが、ほぼ最晩年、といっても良い時期のもの。しかしその最後にはこうある。

”いつか、貴方を唸らせるような、すごい作品をものしてみせます”

僕はこの文を無理遣り書いた文とも思わないし、病気を押して書いた文、という風にもなぜか感じない。文字通りの意味として、素直に池田さんの口から発せられたことばである、と感じるのみだ。なぜなのかはわからない。そしてそれまでの文章で十分小林は唸るのではないか、とも思う。でも違うんだな。「愛(エロース)」、今の社会では違った意味に取られることも多いこの言葉の、原初の、最もピュアな意味での発露を、ただただ感じるのみなのである。

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人間自身―考えることに終わりなく

人間自身―考えることに終わりなく