夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

4月20日 オメガ9考察。結局アマゾンで500mlペットオリーブオイルを注文した。966円。

オリーブオイルがなくなって、購入するかどうか悩んでいるわけだが、他の食品でオメガ9を摂取するか、オリーブオイルに戻るか、ということを考えてみたい。f:id:mamezouya:20240420083559j:image
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まずは1日に摂取したい量は。

 

人体で作れるので、毎日これだけ摂取しましょう、ということは無いようだが、会った方がいいだろう。米国ではテーブルスプーン1-2杯と言われ、8-14g位がいいとも言われる。

 

ではオメガ9欠乏による体の異常はどういうものか。

 

皮膚の湿疹、発疹、指のささくれ、ふけ、脱毛、乾燥肌、ドライアイ

動悸・息切れ、腰や関節が硬くなる、痛み

 

などが起こるようだ。

 

では他のどのような食品から採れるのか。私はなかなか買い物に行かないので、出来れば生鮮食品ではない方がいいのだが。。

 

他はアボカドやアーモンドがいいようだ。私はあまりアボカドを食べる習慣がなく、ナッツは好きだがすぐ食べきってしまう。

 

気持割高、という感じである。

 

購入頻度を考えると、やはりオリーブオイルがいい気がする。

一日スプーン2杯に限定すれば1kg瓶なら2か月位もつ気もする。

 

ということで、ただいまアマゾンでガルシアのエクストラバージンオリーブオイル500mlペットボトルを、2か月ごとの定期お届け便10%OFFで注文した。966円。

 

500mlを2か月で使いきると想定すれば、1か月は500円くらいか。

 

前日の日記でえごま油タブレットを1か月250円相当で購入したが、これで250円+500円、計750円でオメガ6とオメガ9をキープしていこう、ということにした。

 

最近そういえば指のささくれも発生していたし、1日スプーン2杯は実施のこととしよう。

 

(たまにはアーモンドも買ってみるかなあ)

 

 

 

 

 

 

 

 

4月19日  えごま油錠剤を注文。オリーブオイルロス。玄米炊飯ローテーション。

本日の体重64.5kg、体脂肪9.9%。

毎日微妙に0.2kgずつくらい減っている感じだ。まあ、毎日ほとんど同じものを食べているので、そういうことかもしれない。f:id:mamezouya:20240419053319j:image
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だが1日2合の玄米を炊いて、おにぎりを2個作り、残りを夜食べる、というパターンを昨日やってみたが、なかなかいい感じかもしれない。おにぎりは1つは翌日の昼食ということで鞄に入れ、一つは流しのそばに置いておき、翌日朝食べる。

 

玄米は電子レンジで炊いている。炊き立てはベトベトなので、蒸らしが必要で、すぐには食べられない。水への浸けも必要だ。なので夜研いで、朝出かけるときに調理開始、帰ったら、固くなってはいるができている、というパターンがいいようだ。

 

最近は空腹感(飢餓意識)が生きる活力を呼んで長生きする、という方向で、ほぼ糖質を摂っていなかったのだが、そうするとなんとなく夕方5時ころにふらふらする。朝玄米にぎりを食べると、腹持ちがよくあまり空腹感はない。糖質がなくともケトン体を脳は使用する、という説も読んだが、なんとなくケトン体を使うといやな体臭がする、ということも読んだ気がするし、筋肉が減るのかな(ここは要確認)という心配もあるので、まあ繊維質も多いのでとりあえずは玄米を今は食べているところだ。

 

このスタイルで毎日0.2kg痩せてはいるので、あとはタンパク質摂取量と、ビタミンやオメガ9(DHA)あたりをしっかり摂っていきたい、と思っている。

 

オメガ9とDHAは基本さば缶で摂りたいが、いつも購入する100円ショップへ行くと味付けはたくさん残っていたが、水煮は売り切れ。皆さんわかってらっしゃる。塩分摂取も考え水煮しか食べないので、1週間魚なしではちょっと心もとない。ということで、アマゾンでえごま油錠剤を注文した。6か月分で1480円、一日8円、一か月で250円程度。実際に魚は食べるにしろ、こういう売り切れ時もあるので、心の平安のためにもいいのではないかと思っている。

 

オメガ9は人間はつくれないが、オメガ6は作れたはずだ。毎日納豆にオリーブオイルをかけて食べているが、切れてしまった。イメージ700円で700g買えていた(スーパーで)気がするが、この前まいばすけっとに行くと1200円くらいであった。サイゼリヤでかけ放題が終了するわけである。体感倍額、という感じだ。

 

健康と金額を天秤にかけているところだ。いままでの半分の使用量にするか?玄米食にして、基本グルテンフリーにしているので、パスタは食べていない。パスタ料理にどばどばかけていたが、これを少なくして、毎食少しずつかけることにするか。

 

悩みはなかなか尽きない。だが、オリーブオイル、エゴマ油の両方が切れていて不安感が亢進していた状態から、前述の錠剤注文ですこし心が落ち着いたかんじである。

 

オリーブオイルに変わる手段(オメガ9)をなにか探した方がいいかもしれない。

 

(オリーブオイルはなんというかどんだけ掛けてもいい、という感じでここ数年来ましたので。。。)

4月18日 宗教の一番の売りは、生物としての人間の根源的な死の恐怖ではないだろうか。

宗教が常に死後の世界が素晴らしいということを説いているのも、それは逆説的には死ぬのが怖いので、死を恐れないようにするための一つの方策として色々な理論を組み立てているのです。

 

 

勝間和代さんのブログからの学びである。

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人が生き物であり、自らが死ぬことを心の中ではとことんわかってはいるが、そのことを直視したくないこともその反作用でとことんわかっている。

 

勝間さんの教えで気づいたのは、職業としての「宗教」、つまりその宗派に関わる人間が、その関わりから「生きる為の費用を得る」ためには、各人が持つ死への恐怖を際立たせ、訴えかけることで、それに対する「手段」を宗教的に「信じさせる」ことで対価を得ることが必要だろう、ということだ。

 

宗教組織に、組織人として「就職」した人たちは、それを奇跡の風味でまぶして「信じさせる」ことに特化すべきなのだ、我が生の「糧」を稼ぐためには、ということをとことん学ぶことだろう(疑問に思う人も多いと思うのだが)→そこからいろいろ深みのある考えが生まれたことも否定できないが。

 

だが、そういう仕組みを、根源から揺るがすものこそが現代で「異端」、と呼ばれている考え方である。

 

異端(と既成宗教から烙印を押された立場や考え方)は、この世で生きること(=死ぬことの恐怖を持ち続けること)を、今生が悪である、という設定によるひっくり返しにて、恐怖より期待に転換してしまう仕組みを持ったもの、ということが出来るかもしれない。

 

グノーシス派や、カタリ派は、この世を作った「モノ」が、意識的にしろ、無意識にしろ(グノーシスではアブラクサス?は確か自身が悪であるとは知らなかったはず)基本悪いもので、この世から「本来の場所」である「死後の世界」に戻ることこそ素晴らしい、と説くものだ、というのが今の私の認識だ。

 

単に信じる人はいいが、キチンとその宗派に入り込んだいわゆる「聖職者」階級?レベル?の構成員は、子孫を残すことがなかったという。

 

そういう組織が、「我こそは真のキリスト者である」と信じきっていると、組織を運営する中で自らの糧を得ることを(無意識、あるいはそう考えたくないと思っている場合もあろうが)結果的に行う組織が、「これは分が悪いぞ」と認識するのは当たり前だろう。

 

で、火あぶり。

 

子供を残さないという教義のお陰で、性的に放縦であり、乱れている、という虐殺の理由付けは、なんというか後付けの言い訳のように感じてしまう。

 

まあ、その時の空気や気持ちをわかっていない身での勝手な考えではあるが、今はそんな風に考えている。

 

(取り込み無理なので、虐殺した、という気がします。。)

4月17日 花粉症ひろい。小澤征爾さんと村上春樹さんの会談本読了、合わせて図書館で朝日新聞2月11日の村上さんの小澤さんとの思いでを書かれた記事をCOPYしたりした。

今朝の体重64.7kg。体脂肪は12%。体重は先週の67キロ近くから落ちてきた。まあ別に減らそうと思っていたわけではないので、普段の食生活だとじわり痩せてゆく、ということなのだろうか。

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昨日は歩いて京橋の展示を拝見し、その足で皇居まわりの松林で小澤征爾さんと村上春樹さんの2010年ころの対談本を1時間半ばかり読んだ。13646歩あるけたのが、良かったかもしれない。その結果、今日の花粉症はひどくなったが。

 

小澤さんは2月6日に88歳で亡くなり、2月11日に朝日新聞に村上さんが小澤さんとの思い出をかいた文章を寄稿されていたことは知っていた。今はここ東京では新聞を取っていないので、朝日新聞記事もすぐには読めなかったが、図書館にこの本があることを知って借りたのだ。2週間の貸出期間であるが、当然次の予約者がいらっしゃったので、2週間以内に読まねばならなかったからだ。

 

通勤に電車を使っていたころや、昼にエルゴメーター(自転車)を漕いでいたことは、毎日すこしずつながら本を読むことができていた。本は読みだすことが肝心で、すこし読んで面白かったら時間を見つけて続きを読もう、という気になってくる。

 

だがいまは歩き通勤で、昼も皇居東御苑まで歩くことにしているので、自動的?に本に接するのが結構難しい。勢い折角図書館で借りても、読まずに返す(1回延長できるので3週間はだいたい借りれるが)ということも多い。

だが期限に遅れなければ、予約が無いとその場で再び借りることができるので、読み通せない哲学系の本などはそういう方式でやってはいる(でも結局読めなかったりしますが)。

 

ではそこまで延長しているのなら買えばいいやん、となって買うのだが、そうなるともう読まなくなる。

買って安心、いつでも読める、となるのである(だいたい)。

 

追い込む、場所を替えれば読める。そういう意味ではマクドへ行ったり、電車移動や飛行機移動の時は結構読める。本が読めそう、と思っても、東京名古屋1.4時間位だと、インスタやってると一瞬で時間移動(時間が溶けるともいう)という事も多い。できれば東京―大阪位がいい。

 

村上春樹さんの文章は、ご自身が小澤さんとの会談でおっしゃっているとおり、リズムがいい。人にもよるだろうが、私にとってはどんどん読み進むことができる文章だ。たぶん結構な皆さんが同じように感じてらっしゃるのではないかと思われ、それが村上さん人気の一因だろう(もちろんするする読まされた内容が面白い、ということが一番だが)。

 

村上さんは、ご自身が翻訳もされるので、英語に訳された自作には目を通されていると思う。多分、外国語(英語)になっても、日本語で得られるリズムと同じように、無意識にリズムを気にされていると思う。

 

2月11日の読売新聞から引く(本返却ついでに、過去新聞の閲覧を申し込んでその部分をCOPYしました)。

 

作家が文体を真摯に追及すればするほど、文体自身が消えていって見えなくなり、あとには物語だけが残るーそういうことが、小説の世界にはある。征爾さんの晩年の演奏は、あるいはそういう熟練の境地に達していたのではないだろうか。

 

朝日新聞2月11日 村上春樹寄稿文より

 

文章と音楽、どちらも自身にとって一番すばらしいと思われるものを、全身全霊で追求し作り上げてゆく、という行為の結果生まれるものだ。そういうものであれば、それは人の琴線に到達でき、触れることができるのである。

 

毎朝4時に起きて数時間執筆される村上さん、同じく早朝に起きて譜面を読み込む小澤さん。こういう二人が出会って、話が弾んだ、ということは稀有のことだろうし、普段の生活でそういうひとに会えないであろう二人にとって、会話がとにかく楽しくなったことはある意味当たり前のことだったのかもしれない。

 

年齢差が15歳程度あったようだが、それは多分本質的には関係がないのだ。魂同士にとってみれば。

 

(うらやましい、という感じもしますね)