夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

10月17日 岩波文庫 源氏物語を注文。アマプラでスカイ・クロラを視聴など。

今日の体重64.7kg、体脂肪9.1%。筋量55.4kg。

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今日の注文本。岩波文庫源氏物語1巻。

 

 

今日のアマプラ視聴。

スカイ・クロラ

一度TVで見た記憶があるが、内容は結構忘れていた。アマプラ無料であったので視聴。

 

そして森博嗣さんの原作本も最近買っている。

映画クレジットで、森博嗣さんの英文クレジットは Hiroshi MoriではなくMori Hiroshiになっていた。

これは森さんが自著を翻訳されるときもこだわっている、ということを読んだ気がする。

 

さてまずは源氏物語

大河で「光る君へ」を欠かさず見ている。物語がどのように生まれるのか、という場の誕生を描かれている点が面白い。

で、まずは林望氏の現代語訳を読んでみた。

 

結構わかりやすく読めたのだが、1巻で挫折。

 

では、定評ある与謝野晶子版、あるいは谷崎潤一郎版をと思っていたのだが、

 

 

 

 

主演の吉高 由里子さんが左利きにもかかわらず、右手で吹き替えなしであの文字を書いている、ということを知り、

なんとなく現代語訳で読むよりは、原文にあたってみるか、と思って注釈付きの岩波文庫版を注文してみたのだ。

 

(まあ、読めるかどうかはわかりませんが。。)

 

だが古文で読むと、意味の把握がやっとという面と、やはり今とは違う過去である、という雰囲気を感じることができる、という2面があるだろう。折角なんとか注釈付きであれば読める可能性があるのであればトライしてみるか、という感じである。

 

まだ入手していないが、ちょっと楽しみではある。

 

もう一つ、徳川美術館に行ったとき、ここと五藤美術館にしかない国宝源氏物語絵巻(実物は見られませんが)の事を知ったのも大きい。

 

あの「引き目鉤鼻」の貴族の描写を見るにつけ、古さを感じたい、という感覚になった気がする。

普通日本人と言えば一重の引き目であることはスタンダードであろうが、「鉤鼻」はどちらかというとレアなはずだ。80%以上(いや90%か)の日本人は、正面から見れば鼻孔が見えてしまうはずだ。

鉤鼻で表される貴族、というのは、あるいは貴重な鼻をしている人が多かったのだろうか。

 

さて、スカイ・クロラである。

TVでCM込み、あるいは録画してCM早送りで見ると、なかなか集中できない。

アマプラなら一気に集中して見ることができるので、内容が結構頭に入ってきた。

 

まず一番残った感想は、

 

亜人間の悲哀、というあたりだろうか。

 

思い出すところでは、例えば「ブレードランナー。あちらも人間として認められないレプリカント(名称からして”レプリカ”という複製感が強い)の悲哀が胸を打った。

あるいは「マッドマックス フューリー(怒りのデスロード)」。あの作品でも寿命が短く、その短い生をどのように生きるか、という存在の悲哀を感じたものだ。

 

キルドレ、は永遠に生きる、という設定のようだ。生が短いことと、不死であることは両極端のようで実は似た悲哀を持っている。

 

不死、あるいは長命であれば、”短命”な普通の人類と人生を伴走することはできない。

 

不死者や長命族は、そうではない夫や子供の死をみとらなければならない。

そのことは、死ぬことの怖さとは別の怖さをもっている。

 

不死であるから、死を願うかたちで戦闘を職業とすること(基本選択肢はなく、商品として”職業”とさせられているのではあろうが)、死と隣り合わせに居ることを無意識に追い求めるのだろうか。

 

あくまで人類とは違う「商品としての亜人間」。基本的な人権はないのだろう。そのあたりのしんどさが、本作に流れる重いテーマなのだろう。

 

物語がすすんでいくにつれ、そのことが伝わり重い問いかけと余韻を残したのであった。

 

(また何度か見たい作品の一つとなりましたね。。)