食べたものは3か月後の肉体となる。
そして”何を食べるか”はある程度無意識であったり、家庭で出てきたものを食べる、といった条件もあるだろうが、大きく括れば”自らなにを食べるかを選んでいる”。
つまりは自分で自分の身体を作っているのだ。
考えてみれば当たり前だが、例えばあまりに費用節減に走りすぎると身体への悪影響がでるのである。
身体であればわかりやすいが、目には見えないものの、「精神面」を考えても同じことになる。
私たちは心の中で考えた通りの人間になる。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかならない。
ジェームズ・アレン(英、1864-1912)
アレンはこういっている。
近い視点や感覚では、自身を取りまく環境は、偶然の結果であるように思えるものだろう。
だがうんと離れてみれば、結局は今いる場所は、自身が選んだ、あるいは拒否したからそうならなかった場所である。
ということで、、自身の心の中でなにを、どう考えるかは、非常に重要であろう。
いわゆる“思考は現実化する”というやつだ。
こうきくとなにやら呪術系の言葉のようにも思えてくるが、言ったことばですぐに目の前で変化が起きる、と設定するから呪術のように思えるのだ。
じわじわ、植物の生長が今目の前で見えにくいように、子供の成長が毎日会っているとわかりにくいように、
結局そうなっている、という小さな変化の繰り返しであれば、別に呪術でもなんでもない、ということになるだろう。
つまりは、「きちんと自身がどうありたいか」を設定する必要があるのだ。
運命論を奉じると、まあなるようにしかならない、という気持となるが、そしてそれはその通りであるが、折角だから心に密かにやりたいこと、なりたいことを絶え間なく、そう熾火のように焚いておけば、それが影響した結果としての”なるよう”になっていくのである。
つまりは、あきらめない、
夢を持つ(ちょっと語感はくさいですが)
ということに、
結局はなるのだろうか。
(しかしそう思うとちょっと愉しくなってきますね)