夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

生活リズム(ルーティン)が整わないと落ち着かない=カントのひそみにならって(レベル違いすぎですが)。図書館でニジンスキー本を読むことなど。あとパスタのこともすこし。

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昨日は合計13000歩あるいた。会社から始めて図書館に歩いてみたが、この時期素晴らしい歩き心地。そして図書館経由で家に帰ってみたが、だいたい8000歩くらいであった。多分往復で1時間半くらいになるだろうか。

帰宅時計った体重は63.3kg、図書館でだいぶお腹が鳴っていた(笑)ので、帰ってからパスタを多めに150gと玄米握り1個をくずして玉子かけご飯にして食べた。太ったかな、と思ったが、今朝の体重は64キロ(体脂肪は8.7%だったか)だったのでまあまあかな。パスタはゆで時間が長い(12分とか)ほど自然乾燥で、美味しいとパスタにくわしいひろゆき氏の過去動画で知ったのだが、500g99円の我がパスタ(業務スーパーにて購入)は7分のゆで時間であったので、まあ安物のということだろう。新宿にある「あるでん亭」という店が、むかしソニープラザにあったアルデンテにパスタをゆがける機械を引き継いで美味だ、という情報もそこから得たので、機会と金があったら一度試してみたいと思っている。ちなみに「アルデンテ」とはなんぞやと思ってしらべると、歯ごたえがある、ということのようだ。知りませんでした。。

図書館で返却期限が来ていて読めてない本を2時間ほど読んだ。走り読みだが、本しか読めない空間に身を置くことで初めて読める。家にいるとYOUTUBEとアマプラばかりになる。私は多分視覚上位で視覚記憶のほうが多分文字記憶より定着する。本は伝説的ポーランド人ダンサー(ロシアで活躍)のニジンスキーのものであったが、ニジンスキーチャップリンヒトラーは同じ年であることを知った。

同時代の世界的に著名な表現者同士として(あるいはヒトラーもある種の表現者と言えるのかもしれないが)ニジンスキーチャップリンが強く惹かれあった、という感触を得たことも面白かった。ニジンスキーの「牧神の午後」からインスピレーションを得たと思われるチャップリンの映画スチール写真を見たが、なかなかこれも印象に残った。

ニジンスキーはすべての人がどきもを抜かれる跳躍力があったということだ。父親もダンサーで、同じく素晴らしい跳躍力があったというが、ニジンスキーは(父親との確執もあり)父の跳躍には芸術性がない、と吐き捨てたともいう。

だが残念ながら映像がない。どれくらい素晴らしい跳躍であったのかは、文章によるしかない。どちらがいいかではなく、過去には映像記憶、というものは人の頭にしかなかったことを思う。

ニジンスキーは170cmそこそこの身長で、「日本人」といってバカにされていじめられたとのことだ(「日本人」が醜さと同義であるのは残念だが、当時の極東の国のイメージはそんなものだろう)。後半生では精神を病み、コリンウィルソンの著名な「アウトサイダー」でそのことが逆に有名になり、人の記憶に残っているという。私も同著を読んでおり(所有している)、名前だけは憶えていた。

チャップリンの身長も、162.4cmであったという。ヒトラーは175cmで、普通のドイツ人と比して低いことにコンプレックスを抱いていたという(日本では普通より少し高い程度だが、ドイツ人の現在の男性平均身長が181cmということなので、平均より6cm低い、という意識でいたのだろう)。

調べてみてチャップリンがだいぶ低いことに驚いたが(なんとなく170はあるイメージ)、3人とも海外に居れば日本よりも自らが大きくない、という意識があったのではないかと思っている。

まあ、この「ニジンスキー」という名前を聞くたびにあの”キャロット”を想起させられ(苦笑)、逆に覚えやすくて困ってしまう。私はニンジン嫌いなので、よけいに”あんな不味いものが好きなのか”と思うわけだ(頭のどこかで(笑))。

図書館の帰り道、皇居のお濠の辺で稲光があり、こりゃああかんで、と思っていたら文字通りの土砂降りになった。ベトベトになったが、まあ歩けたし、堀内誠一のコロナブックスのムック(よくまとまっている)も借りたしで、なかなかいい夜行歩行であった。

(公園では懸垂と足上げもしちゃいましたが、スーツではやりにくいですねー。。。、あ、またタイトル回収忘れ。。この1年は思うままに食品を買い、外食する日々でしたが(外食の内容はチープでしたが)、金が持たないので、自炊に切り替え、切り替え時はなんだかみじめな気がしていました。ですが徐々にルーティン化してきて、いろいろなものを切り捨てて、生活で真に必要なものはなにか、という感覚が出てきました。これはこれからの生活感覚上いいことではないかとおもっています。なによりみじめだった気持ちが、なんだかゲームのような、楽しさが少しでてきたのがいいですね。
私はすこしASD気質(こだわり)やADHD気質(飽きっぽい)があると思ってますので、ルーティンができると安心する要素もあるようです。外食しなくてよくなるには、家で美味しく食事が出来ることが重要とのひろゆき氏の言葉を聞いて、ヨーグルトの自家製造なども手掛けようかな、と思いました。あと納豆菌が強くて納豆が腐りにくい、という情報もありがたかったです。)