夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

5月5日 低欲望化はあかんのか。

大前研一氏は、日本の経済的停滞は若者の低欲望化であるという。

 

では低欲望化ははたして「あかんこと」なのだろうか。

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なんとなく「あかん」と言い切るのに躊躇する、というか、低欲望が一番の生活態度である、と心底生き残り戦略として採用するに至った若者の気持ちを考慮すれば(ここで「若者」と言い切っているのもどうなのか。いわゆる「外見年寄り」でも低欲望化こそが生き残り戦略であると感じている人々(ミニマリストとか)は多いだろう)、それが故に「停滞」に通じる、つまりは「若者(など)が悪い」とするのは、古くからある「年寄りが若者の生存戦略をDISる」「ようはアンタがそうでないことによる悲鳴なんでしょ」と思うのである。

 

だが、「若者陣営に入れないまごうことなき年寄り陣営」所属であると思うのであれば、「(自分のために)経済をもっと盛り上げんかい」というと「ご同輩」からは同意を強く得られることがわかるわけで、だがそういう言説はなんというか本質的に「さもしい」感じがする。いわゆる「媚び」「ポピュリズム」に通じるものだろうか。

 

たぶん「自分のこと(とくに自分だけが得すること)は棚に上げて」、「客観的に」考えていく、そしてその結果出てきた「試案」「提案」「立ち居振る舞い」を示してゆき、じわりと「そういえばそうかも」というものを作り上げる必要があるのだろう。

 

 

こんなことをいうと何様なのか、と言われるだろうが、私はあまり税金のことで腹を立てたりできない。これは金持ち特権階級だから、ということではなく、昔っから(ほぼ小学校低学年から)「政治のことはしょうもない」という感じをなぜかもっていたことに通じる。政治家といわれるひとに文句を言うのは、同次元に立っていることであるので、言いたくない、という感じだ。

 

これは「人に言われることがいやだ」「言われてやるのはもっといやだ」「言われて文句をいうのは同次元にいるわけであり、それよりは関係がない、という立場にいたい」と思ってきたことによるだろう。

 

だがまあ最近は、本当にやばいときにはやはりなにか考えていかねばならない、という感じもしてきている。

 

それがなにかはまだ見えないが。。

 

(過去には「本当にやばい時」がいろいろあったような気もしています)