夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

「食べて応援」と褒め殺し。尻馬に乗ることのラクチンさと後味の悪さなどについて。

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今日の体重64kg。体脂肪はなんと11.2%。この体重でこの体脂肪は未経験のゾーンである(´;ω;`)

たぶん、であるが、最近白米生活に突入したことが原因であろう。昨年10月から単身生活になったが、その時にたぶん10kg?の白米を購入したのだ。

で、全然食べていなかった。基本糖質はできるだけ摂らない(バナナ位)という生活を心がけていて、空腹時はコーヒーがぶ飲み、という感じで1年弱やってきた。で、全然白米は減らなかったのだ。玄米であれば食べたかもしれないが。

だが、月想定の生活費で、本や時計などなどをこころの赴くまま(といっても安さ優先ですが)に購入したり、折角東京に来たのだからと美術館や展示に毎週行ったり、折角神保町にいるのだから、とカレーを食べ歩いたりしていると、月々の生活費をOVERし、あんまりない貯金がみるみる減っていくことに気が付いた。

で、そのことがメチャステルスストレス(勝間さんのおっしゃるスタイルだと住宅ローン的ストレス)になることに気づいた。四六時中(金がない、金がない)とこころのどこかで呟く声が聞こえるのだ。

ということで、緊縮財政にした。まずは飲みにいかない。近くの飲み屋でさみしいので飲む、ということをしていたが、中止。
外食極力しない。カレーが食べたければ自炊。税抜き98円トップバリューカレールー8皿用を多用し、白米をがんがん炊いて食べれば、別にそれはそれでOKだ。

とりあえず満腹になれば、それほど残念な気持ちにならないことに気づいた。

昼食はそれまではパン600円位食べていたが、その後トップバリュプロテインバー税抜き148円(プロテイン22g)になり、いまはおにぎり持参に切り替えた。

まあ、食材は買うのだが、鶏むね肉1kg700円位のものを買い、牛乳は真牛乳から疑似牛乳にした。コーヒーはこれもトップバリュのインスタントコーヒー。ブレンディよりも安い。味はイマイチだが慣れるものだ。

といった形でスケールダウンを日々行っている。古本を買いたくなれば図書館。昨日自転車で夜日比谷図書館へ往復したが、まあ寄り道せねば50分で行って帰ってこれる。

やりたいことは最低限やるし、食べたいものは最低限我慢しないが、それが一番安価にできるのは何かを考えるのだ。

という感じでやっている。はじめはなんだか侘しい感じもしたが、今はなんだか楽しくなってきた。

しかしやはり白米は脂肪になる。同じ体重で体脂肪が6%くらい違うと、これはまたすこし考えねばならない。筋力量増加か、白米摂取減か。白米はもうすぐそこを尽きそうなので、来月からはとりあえず玄米にしようとは思っている。

 


さて、タイトル回収。

さいきん帰ったらYOUTUBEとアマプラで、ひろゆき氏と勝間和代さんとエヴァメイドインアビスの日々である。私は疲れるのであまりゲームはやらない、というか日々ポケモンGO漬けである。

で、ひろゆき氏の過去動画を見続けていると、昨日会社でしゃべっていたら、なんだか口調がひろゆき氏っぽくなっている気がした。いやあ、一人暮らしで一人のひとの動画を見続けるとそうなるんですかね。。

まあ、それはおいて、動画のなかでひろゆき氏が、鰻が絶滅しそうだから食べるのをやめましょう、ということがいわゆる世論というか、政府というか、そういう雰囲気になったとき、「食べて応援」という謎の逆張り一派があったことをおっしゃっていた。

わたしもなんとなく記憶があるが、要は「押し付けられて食べられなくなるのは嫌だが、この世間の雰囲気のなか”食べよう”とストレートに言うのは面倒だろう。であればいかにも鰻生産者や関係者の苦難をおもんぱかる体で、”応援”の文字を挿入しつつ、実は自分が食べたいだけ、で、もし鰻絶滅するなら今のうちに自分だけは今生の記憶としても食しておこう」というまあいわゆる自分勝手度合純度100%の気持ちが、めちゃストレートに伝わるのだが、、なんだか後味がわるい。

そして似た気持ちに「褒め殺し」がある。これは行為としては相手を「殺したい」が、ストレートに殺す方向でいくと、殺そうとした自分にいろいろ非難等来るのが面倒だ。褒めつつ、敬してるふりをして遠ざける、ということをすると、殺そうという気持ちがばれない可能性もあるし、なんか言われたら「いやレスペクトするが故の言動です」などと逃げられる可能性もあるしで、これはやってみる価値あり、という気持のもとに取り組む構えだ。

実は私的には「褒め殺し」に近い気持ちになることがある。で、褒めは心からやる。嫌味は一切入れてはならない。しらじらしくてもいけない。やっているうちに「本当にすごい奴だ」などとみずからが少し思ってしまうくらいがいいだろう。いわゆる「ほとんど木乃伊取りがミイラ」状態になることが必要だ。

だがあくまで「ほとんど」だ。心のどこかには「調整しよう」がある。だが木乃伊化を遂行すればするほど、自らの本当の気持ちも忘れてくる。

自らをだます、ということだろうか。自らの記憶を消しているが、実は悪者は自分であった。そのことを忘れていた自分が知ったときにひどく傷つくことさえある。これである。

思い出すのは、ミッキー・ロークの映画「エンゼル・ハート」あたりであろうか。

落ちや結論にたどり着いておりませんが、今日はこの辺で。。

(今日は書類作りがすこしあるのですー。。)