月曜に熱中症気味になったのだが、当日はこの状況は何だろう、と思っていた。
いろいろ見ていると、頭痛や手足のしびれ等の症状からみて熱中症だろうと見当をつけた。で、昨日は午後会社を休んで、帰り道でロキソニンを買って帰った。
結構頭痛がひどく、薬を飲んだ時間はよかったが、薬が切れると痛い。結局夕方はよく眠れたのだが、夜は薬を飲まなかったのであまり眠れなかった。だがまあ、横になっていた時間は8時間ほどあったので、ある程度は休めたと思う。
順化を意識してやっていたので、熱中症にはならない、と思っていたのだが、そうでもなかったようだ。やはりこまめな水分補給をしていなかった(まあ、飲んでいるつもりだが、たぶん汗をかく量のほうが多かったかも)のが原因であろう。
ミレニアム3部作の最終章を読み終わった。
非常に読ませる話で、こうしてどんどん読みたい、と思うのは久し振りのことだ。改めてこうしたエンターテイメント本(それでいて考えさせられる)の面白さを実感した。
2009年ころの話で、準主人公(やはり主人公はサランデルだろう)のミカエルは45歳のジャーナリスト、50歳で亡くなった作者のスティーグ・ラーソンは多分自身を投影して書いていただろうと思う。
やはり時代が変化したな、と感じるのは、たぶんジャーナリスト、という職業がそのころより、現代の方がより成立しにくくなっている、ということだろう。記名記事や特ダネ、というのは、あまり日本では少ない印象があるが、それよりもそもそも雑誌が減っているのだ。
ミレニアム(そもそもこれは雑誌の名前だ)でも出ていたが、既に雑誌の販売部数は下がっており、人員削減や契約記者(正式な社員ではない)の問題がテーマである。
だが今の日本、そもそも雑誌文化がほぼ崩壊した状況で、週刊朝日が廃刊となった際も、多くの記者や関係者が次の仕事を得ることが困難であったと聞く。
ネット記事は、ネット利用料を払えば基本無料、という感覚である。有料記事や、有料ブログなども見かけるが、個人的にはあまり利用していないのが現状だ。
本は有料、紙であればそれを保管するも、廃却するも、コストがかかる。
そうしたところで、雑誌というものが有料でやっていくことはやはり難しい、ということであろう。
電車の中でスポーツ新聞をみんなが見ている、という姿は、既に相当昔のイメージがある。
作中でミカエルは、スクープをモノにし、雑誌を大量に売る。テレビや雑誌というマスコミが今よりもより重要性を持っていたのだなあ、と、たかが14-5年前の小説であるが感じるのだ。
世界は変わっていないようで、やはり刻々変化している。
(ベストセラーを14-5年遅れて読んでいる私もたいがいですが(笑))