美食に警戒心がある。
美食はいいが、それが習いとなると、それ以上でしか満足できなくなる、という現象だ。
しかたなく以下を食するときに感じる「がっかり」がきついだろう、と思うわけだ。
それはたとえば「プライバシー」も同じ。
コロナによる「マスク」「仕切り」のことだ。
マスクは既に顔という「恥ずかしいところ」をごまかす「隠すための衣服」と化している。「顔パンツ」という語がそれを端的に示す。
パンツとは、心を許したひとにしかずらさないものだ。そして「生きるために必要な時」に。
つまりは「食」だ。
それ以外は既に「顔の美醜」は「不特定多数に晒すもの」ではなくなった。
見てはいけないもの、プライバシーとなったのだ。
イスラムのベールは、女性の顔を不特定多数から隠すためのものだ。
古代中世?の御簾や、結婚前の女性を屋敷奥に隠すこと。
これらは根っこはおんなじだ。
プライバシーを保つ要素、と隠されたことにより発生する「希少価値」。
もはや素顔を見ることは日常生活では絶えてないこととなった。
これはいわゆる「映像・画像」の価値を高めるものだろう。
そこでは思う存分、「素顔」が晒されているのだから。。
プライバシー、という意味では、会社やカフェやレストランで設置された衝立。
これがあることで、見えないウイルスと共に醸成されるのが「安心感」だ。
あることで、心理的に安心感が出てくるのだ。
これがあると、自己の世界に沈潜することが容易になる。
多分、もう、一人席はコロナが落ち着ても、そのまま設置してほしい、という要望が多くでるであろう。
もともと一人席、横の人は本来いない方が快適だ。
横の人とコミュニケーションすることは、ほぼ0%であるからだ。
(いろいろな気持ちの変化が自己に発生して、興味深い感jいです)