夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

私は私に甘すぎる。

よく指摘されるのは、「あなたは自分に優しい」ということだ。

その事実は多分いいことだが、そういわれる文脈は良くはない=糾弾要素がある。

つまり「わたしはあなたほど自分に優しくないし、自分に優しいということにも価値をそれほど認めていない」という宣言である、と聞こえるからだ。

多分、そうだ。褒めて言う人は、日本では少ないのだろう。

日本でのパンクチュアリティ。外人は称賛していると日本人は思っているが、あれは感嘆半分、そして自分たちはそれは無理=やりたくない、という気持ち半分、という言葉なのだろう。電車とか。

どうもそれを日本人は「そうでしょうー、でへへ」的に聞きすぎであるような気もするのだが。

電車の運転手には、日本ではパンクチュアルであることを強制され、そういうストレスを受けている。なので、車掌や運転手はトイレに行くことも制限されていると思う。具体的なルールはわからないのだが。たしかトイレが我慢できずに起きた事故もあったように思う。

自身が失敗することを織り込んでおく。その失敗を指摘されることも、もちろん真摯に受け止めるところは受け止めつつ、指摘したいひととその行動が基本的にはマウンティング(俺はお前より知っている)ということであればスルーする力も必要になる。

ゆるーく、受け止め、自身にとって役に立つことは、取り入れる。

この方向ですかね。