ヘルマン・ヘッセ、”ガラス玉演技”より。
そしてどの始まりにも魔力が宿っていて、それが私たちを守り、生きることを助けてくれる。
それならよし、心よ、別れを告げよ、
そしてすこやかなれ!
踏み越えよ!
(p.345)
私たちは朗らかに場所を次から次へと
通り抜けるべきである。
そんな場所にも故郷のように執着してはならない。
世界精神は私たちを縛りせばめようとはしない。
世界精神は私たちを一段一段と高め、広げようとする。
(p.348)
なぜなら、私たちの中にも永遠の精神が生き、
あらゆる時代の精神を兄弟と呼ぶのだから。
この精神が今日を生き延びるのであって、
君や私ではない。
(p.412)
注)改行等は変えてあります。
世界の古典と呼ばれる、精神の審議を経て残った書物には、大概同じ事が書いてある。あるいは根底で繋がっている。
同じ精神の源から発せられている、ともいえる。
不思議なことだ。
なぜだろうか。
この辺り、池田晶子さんが、誰が言った、というのではない、
誰がいってもいい、
真実をいっているかどうかだ、とおしゃったことと
同じことである。