人が人を想う事は、誰にも止められない。
正確ではありませんがそのようなことを高倉健の妻役の加藤登紀子がいいます。
そして、その加藤登紀子が作詞作曲した曲を高倉健が歌うエンディングが流れる。
映画の役柄ですが、演じる人たちの属性、というか存在感がミックスしてえもいわれぬ雰囲気があります。
古い映画ですが初見でした。
実は、大原麗子が余りに不憫で、そして暗いエンディングの予感に、途中で止めていました。
残りを今日見た。
予想通り大原麗子(演じる役)は死ぬのですが、実は思ったほど暗くなかった。
彼女を巡る3人の男が彼女の葬式に集いますが、修羅場になっていない。
結構こういう展開は苦手なはずなのですが、暗い気持ちになるはずなのですが、そうでもなかった。
その辺りが、この映画が名作と呼ばれる所以なのかもしれません。
何よりも、彼女も私の一部である、周りの人皆、私の一部である。
そういう納得感、のようなものが、諦念ともいえぬ、悟りともいえぬ、それはそういうことなのだ、という
そういうものが根底にあるからのような気がしました。
珍しく、映画のことを書いてみました。
池田晶子さんは、映画をご覧になったのでしょうか。
エンタテイメントは否定されずとも、たぶん自ら考えるほうが面白い、そのような時間の過ごしかたを選ばれていた気がするので、余りご覧になっていない気がしますが、
例えば、この映画にどのような感想を持たれるのか。
考えてみると面白い気がします。
見るより、多分主演女優でいけるのでしょうが、ストーリーに異議を唱えられ、全然別の映画になったかもしれません。
でもその映画もまた、大変な名作になったような気もします。
しかし、どちらかというと、池田さんはキャラ的には居酒屋の亭主があっているような。。
居酒屋晶子。しかし、失礼ながらまめに料理をつくるより、店の酒を飲んでいるようなイメージが。。。
・・・・大変失礼致しました。
もうひとつの見所は、伊丹十三のいやみたっぷりの演技。
存在感がある。いわば負の高倉健、といった役回りだ。