夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

俳優。

渥美 清(あつみ きよし、1928年3月10日 - 1996年8月4日)は、日本の俳優。本名、田所 康雄(たどころ やすお)。愛称は、寅さん、風天(俳号)。身長173㎝、体重70kg。

高倉 健(たかくら けん、1931年2月16日 - 2014年11月10日)は、日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、血液型B型。


高倉健氏が亡くなった。

寒波でつい家にこもり録画を見ている。子供のころ、仰ぎ見るような大人の映画であったものを、気が付くと主役の年齢(とし)を超えているのに気付き、免罪符を得たような気がして見てみる。

高倉健渥美清の映画は、そんな感じで視聴するのである。

封切時子供であった記憶があるからか、どこかずれたような感覚がある。





この前飲んでいて笑ったのは、こういった感覚の一番初めの関門は、”元祖天才バカボン”の主題歌で明かされたバカボンパパの年齢(41歳の春)を超えたときである、というもの。意外にも同じ感覚をけっこうみんなが持ったようなのだ。

ああ、自分はバカボンパパを超えてしまった。

という。

あの風体、これはけっこう寅さんに影響されているのかもしれないが、なんというか、あまり自分と一体化したくない、という人物像なのかもしれない。

まあ、奥さんが美しいのであるが。


寅さんは、年を経るにつれどうしようもないところが薄れ、ある意味人格者になってゆくのであるが、その生き方に憧れはすれ、同一化にはなりにくい部分もある。だが恋に破れる姿を自分に重ねて自らを慰める、という部分では共感を呼ぶ部分もあるのだろう。

高倉健の場合は、いわゆる”男が憧れる”という部分が強い。40歳で離婚してからは私生活を明かさず、いわばミステリアスな部分も含め、”日本人の理想像”という感じである。

だが、渥美清も実は徹底して私生活を秘匿し、実際は非常にダンディな人間であったという。勉強部屋と称し、家族との家とは別に部屋を借りていたともいう。

高倉の場合は、高輪の理髪店の個室で40年間にわたり店主との交流を深めていたという。

並べてみると、2人には共通の匂いもある。多くの人に役柄を通じ日々見られる立場。そうであるが故の、孤独。

実は人懐っこい高倉に比べ、元来コメディアンである渥美のほうがストイックで孤独な感じがするのはなぜであろうか。

年齢は近いと思っていたのだが、今回調べて3歳差であることがわかった。渥美が3歳上である。173CMで70KGの渥美は、がっしり体型といえようか。高倉は180cmで71kg位だったという。

共通したイメージがあるのは、やはり共演者を通じてであろう。男はつらいよシリーズでは、全作を通じての裏マドンナというべき倍賞千恵子が印象に残るが、高倉も”幸せの黄色いハンカチ”で共演する。まあ、監督も山田洋次であるのだが。




我々は映画を通して俳優を見る。究極は、映画を通してにじみ出る俳優の人柄を見てゆくことになるのだろう。

そこではもう、ストーリーはあまり関係がない。


与えられた役の中で、俳優が自分をどう表現するかを、見ているような気がする。


ちょっとずれたたとえかもしれないが、世の中の出来事を、ゴシップマスコミの最たるものである週刊誌で、毎週切ってこられた池田晶子さんのエッセイと、似たようなものがある、というと無理があるだろうか。

所謂世間と基本的には”関係がない”池田さんが、無理やり”世間の話題”を語る。

あのエッセイの一番の味わいどころは、そこのところにあったような気がしている。

そして渥美、高倉両氏もまた、その内面や人格がじわりと世間に伝わり、尊敬をもって扱われた役者だと思う。

人は、ストーリーを通して、結局は人を見ている。


人を、見るのが、実は一番面白いのだろう。



見る価値が、ある人間に限る、ということではあろうが。



高倉健、惜しい方がまた、亡くなった。


だが、なんだろうか、池田さんを知って以来、死とはなにか、というのが強く、悲しい、無になる、という感覚が薄れてきた。

なんというか、この世界、現世とか来世、とかではない、全てとしての世界、そこではまた、かまだ、かわからないが、またお会いしましょう、という感覚がじんわりと自分の中で生まれてきている。


これはいわゆる”宗教”ではない、”宗教観”といったものなのであろうか。

特に”神様”がいるわけではない。特に”天”を意識しない。この宇宙ではなく、あの宇宙の。


文章でいつも池田さんの魂に触れることができるように、健さんとはまた映画を通じて出会うことができるであろう。


ご苦労さまでした。また。