あらゆるものの形は、その精神から派生する。
ウイリアム・ブレイクのこの言葉は、最近何にでも当てはまる、と感じている。
全ての作られたものは、作りしものの精神の中でまずは形づくられる。
その道理に気づいた人間が、”では、この世界そのものも、我々のこの”作る”と同じようにより大きな存在の”作る”の賜物なのかもしれない、と感じたのはある意味自然なことだ。
この世界がある(その不思議)ということから逆に導かれて”神”というべき「大きな意思」の存在を思いついたのではないのか、と思う。
その根底には、この世界、この生、この”自分”への賛歌が基本として流れている。
であれば、それに人々が共感し、お互いが緊密な繋がりを感じた。それが”宗教”というもののそもそもの発生であったのだろう。
ものを作る魂は、逡巡と不安とがその無二の仲間となる。
その不安に囚われすぎると、心が乱れ、純粋な創作が難しくなる。曰く、”他人がどう思うか””他人の眼にどう映るのか”。
これはある意味しかたがない部分があるが、早くに考え払拭する、できなくともその考えと上手く共存してゆく必要が在る。
人の眼が気になりすぎる。この底なし沼に陥りそうになったときに、頼りになりそうな言葉を見つけた。
讀賣新聞本日の読書欄、西加奈子さんの言葉である。ちょっと長いが引用する。
”だから私は、とにかく自分が思う猫の幸せを、全力で提供するしかない。間違っているかもしれないし、お門違いかもしれない。でもとにかく信じたことを、愛を持って全力でやるしかないのだ。そしてそれがもたらす結果に対して自分で責任を取るしかないのだ。
小説も、そういう気持ちで書いている。”
これは、全てに、当てはまる。他人は”ない”。”他”はない。
思うようにしかやれない。生きられない。
でも、そこに矜持を持て。
「コギト・エルゴ・スム」
・・この言葉の持つ本当の意味は、実はその辺りに匂っているような気が、している。
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book Off 105円で内田樹氏推奨の伊丹十三の本を入手。図書館で借りて読んでいるが、なんともいえない存在感がある本だ。
作者自作装丁の表紙の言葉が挑発的だ。
”この本を読んでニヤッと笑ったら、あなたは本格派で、しかもちょっと変なヒトです”
・・とくる。
内田先生の推奨本は、いつもあなどれない。
- 作者: 伊丹十三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/02
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