と最近とみに思うようになった。
1.人より持っていると思う場合。
→持っていることの脆さ、失うことのこわさに苛まれる。
満足していればしているほど。
持っていることで人を見下す楽しい地獄へ行く不幸。
2.人より持っていないと思う場合。
→持つものへの妬み、嫉み、羨ましさに苛まれる。
人がそれを持っていることが何か不正であるような、不公平で あるような気持ちになぜかなる苦しい地獄へ行く不幸。
人を心から好きになれず、人をうらやむそんな自分の小ささを
心の底で感じて絶望している不幸。
いずれにしても比較は不幸。
比較を止めるには、”求めないこと”(by 加島祥造)、だろうか。
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でも同じ不幸でも、人を見下す醜さのほうが、それに自分が気づかない振りをすれば瞬間は楽しいかもしれない。
でも”魂に悪い”(by 池田晶子)。
やはり比較からの離脱こそ幸福への唯一の道なのだろう。
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日本人は格差等平等の問題には敏感だが、自由の問題には鈍感である、ということだ。
たしかに自由には鈍感な気がする。ただ、直感的に自由を論じるとめんどくさそうな気がする、それが日本人が自らを鈍感たらしめる一要素であるような気もしている。
いわば、平等は他人事だが、自由は抜き差しならない自らのことである直感。
自由とはなんだろうか?
人事は楽、自分のことは棚に上げたい。これは自分だけが死なないような態度でいることと、どこか地続きであろう。
多分、本気で考えなければならない問題のひとつであるだろう。