時間と無時間
そして、どうやら上手に失った過去とは、上手に得る未来らしい。 小林秀雄の言葉 P.147 出典”秋” 17-201 時、というものを考える。 時はない。 永遠の今だけだ! などと言い言いしてきたが、果たして真実は奈辺にあるのか。 将らず、迎えず、応じて而して蔵…
言葉が人間の発明(ことさら発明しようとしたわけではなく、発生した、というべきでしょうが)であり、 もう一つの人間の発明(「2大”発明したと思われてないが大きな”発明」、といってもいいかもしれません)は 時 となるのでしょうが、 これを言葉で表す…
仏教の”空”は、相対的次元の話ではない。 と、大拙は説く。 それは主観・客観、生・死、神・世界、有・無、イエス・ノー、肯定・否定など、あらゆる形の関係を超越した絶対空である。 仏教の空性の中には時間も、空間も、生成も、ものの実体性もすべてない。…
引き続き鈴木大拙”神秘主義”を読んでいる。 池田晶子さんは自らの著作群を評して、”どこをどう切っても金太郎飴のように同じことを述べている”とおっしゃっていたと記憶する。 これは全く卑下ではない。 高らかで誇らかなる宣言である。 ”いつも真実が私の口…
鈴木大拙「神秘主義」を引き続き拾い読みしている。 東西の叡智、仏陀とエックハルトを比較する、というよりは、 二人が同じ結論に至っているということがわかる。 特にエックハルトはキリスト教の中で異端として扱われるリスクを 賭しての説教であったのだ…
活動と時間がセットである、 という認識はいつ得るのだろう。 自分、という意識、いわゆる自我意識が”芽生える”3歳ころだろうか。 子供に親は、”この世でのルール”の一番めのこととして 時間内にこれをやるべし、 時間内に起きましょう、 食べましょう、 寝…