今朝の体重66.6kg、体脂肪10.1%。
昨日の夜は、67キロあったが、最近暑くなってきてつい毛布をかぶって眠ったら汗だくに。。
おかげですこし絞れたかな。。
昨日はジムに行けた。やはりルーティンを行うと体が整う気がする。最近取り入れたバタフライなどで、懸垂が少し楽にできるようになった。懸垂は腕かと思っていたが、背中や胸筋上部を鍛えた方が体を引き上げる力が増すようだ。まあ、もちろん上腕部が一番重要だろうが。。
ことしは花粉症は蓄膿の薬と同時にもらった薬が効いたか大丈夫であった。しかし蓄膿は治ってきたかなと思って行ったがイマイチとのことで、再び少し強い薬を飲みだした。けっこう時間がかかるものである。
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深淵、という言葉に惹かれる。
堕ちてゆく、という感じ、あたかもルシフェルが堕天してゆくときの後悔とうらはらの陶酔を想う。
われは墜ちぬ。星と時のあいだに架けたる一つの長き橋より・・・。
埴谷雄高 「深淵」
堕ちる、というと言葉が強いが、恋に落ちる、という。
落ちてしまったらこれは大変というしかないのだが、四方田犬彦はその著書「人・中年に至る」で、山本常朝が”葉隠”で、「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」と書いていることを示す。
P.52から引く。
忍ぶ恋はどこまでも告白されず、したがって周囲どころか、恋愛の相手にさえ知られないことを理想としている。そこでは恋情はかぎりなく無化され、逆にその無化を通して、公言され公認された恋愛とは比べものにならない強烈な情熱を携えるようになる。これは逆理に他ならない。だが山本常長は、もし世に恋愛というものが成立するとすれば、それはこの壮絶な逆理をみずから演じて生きることだと説いている。
四方田犬彦 「人・中年に至る」より
さまざまな状況から”やむなく"忍ぶ”のではなく、強烈な逆理を積極的に生き、その結果”忍ばない”恋とは比べものにならない深さと味わいと、そして残念さを長期で持ち続ける結果となる。
それが幸せなのかはわからないが、辛いが得るものがある、という境地であろうか。
恋愛は所有欲とも近しいと感じる。特に男性性ではそれは顕著であろう。所有欲とは所有後には徐々に減ずるものであろう。
そのあたり、四方田は同書で、
ジンメルは女性の媚態を分析したあるエッセーのなかで、女性の本質とは愛の証を求める男性の側からの執拗な申し出に対し、ウイともノンとも明確な回答を与えず、問うてくる主体を未決定な状態に置いてしまうことだと指摘している。
四方田犬彦 「人・中年に至る」 P.51
といっている。
所有が所有してしまったのちに減じることを知っていれば、いつまでも”じらし”、言質を与えない戦略こそが最適解だと思う。だが、そこで山本常朝流の”忍ぶ恋”がきたらどうだろうか。
結局はじらす側も、その恋の存在を知らぬままであろうか。
いや、そうとは思えない。
忍ぶ恋からじわりと滲み出る思い、これを敏感に察知することもあるいはあろう。
あまりにしゃべりすぎると、友達になってしまって恋人にはなれないともいう。
究極の無口どおし、”忍ぶ”と”じらす”が相まみえれば、
もしかするとそこには究極の恋愛が生まれるのかもしれない。
(まあ、こうやって頭で考えるのはただですからねー。。(笑))