夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2月4日 生きる、と考える、と感じる。

悠ばくたる過去幾千年の時の彼方より、四周の雑音を高らかに圧しつつ或る巨大なものの声がこの胸に通い来る。

 

井筒俊彦著、「神秘哲学」の冒頭の言である。

 

学び、とはなんだろうか。

f:id:mamezouya:20250204052603j:image

幼稚園児、小学生、このあたりで人は”なぜ学ぶか”ということを園や小学校で特に教えられないような気がするが、そこをたどたどしいながらも、押しつけではなく、伝えてゆくべきだろう、と思う。

 

難しい、というかそうされていない(ように思います)のは、そこをどう教えるのかが千差万別、受ける側の事情も千差万別、ある意味では変な言い方をすると”差別だ”ということになりかねないからではないか、と勘繰っている。

 

つまりは、ビビッて教えていない、となっているのが現状だろう、と思っている。

 

そこはそれぞれがそれぞれの中で納得していけよ、ということになっているのだと理解している。

 

そこで、「会社に入る時には、現実的にはこのような条件がある」「身もふたもない言い方をすると、選別は学力でされることが多い」などと言おうものなら、どうしても学びに向かない、他の資質がある、特定項目は深堀できるが、外の項目には全く身が入らない、という特性のある生徒に対し、もうアンタあかんで、と宣言してしまうことになるときもあるだろう。

 

従って、”なんで勉強なんかせなあかんのか”と胸の中で大きく叫ぶ自我を、過去の学校は”アメとむち”で、順番付けをするなどして、無理に従わせる方向になっていた。

 

その中で、いわゆるここ日本で言われる”勉強”ができるものどもは、自然と勉強をしてゆく方向に結果的に”選抜”されてきた。

そこには、自頭と性格と、親の財力も関係があったろう。真面目で自頭が抜群であれば、財力はそれほどいらない。不真面目で、自頭がぼちぼちであれば、財力の多寡で結果が結構左右される。不真面目で自頭がダメなら、財力が相当あっても結果はいまいちだろう。

 

ゲームというものは、人生の縮図だなと思うことがあるが、種族による能力値の合計、

合計能力値の攻撃・特殊・防御の割合、というものは結構人体にもある。

天才型はそもそも種族値がとびぬける。凡人型は、能力値の合計はある一定の範囲の中にあるが、攻撃が高ければ残りの能力は下がる。攻撃を例えば運動能力、防御を学習力、特殊を性格(持続力)などと読み替えれば、人間大体ある範囲にいるなあ、と思ったりする。

自頭がいい、という表現があるが、これは天才型まではいかないが、準天才レベルで総合値合計が凡人を凌駕している、と感じられたときのものだという気がする。

 

冒頭の語、そういう”生きておまんまを食べるために=一人で生きていけるために”今の人間社会で最低生きていけるものを教育であたえよう、という世界とは、また違った”勉強の醍醐味””学びの理想形””学びという語でこうありたい方向”を示していると思う。

 

本来の学びとはこうだろう、こういう魂からの要求にこたえる形で学びたいものだ。

 

そう思う。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今読んでいるのは、村上春樹氏の”職業としての小説家”。

 

村上氏は京阪神の生まれで、父親は甲陽の国語教師、ご本人は神戸高校出身。

私も育ちは神戸市だが、すこし村上氏の住んでらした地区と比べて下町になる。神戸市民(今は知りませんが私の時代)で甲陽といえば、そびえたつ灘中の次に位置する燦然たるNO.2中学。

となれば村上氏の文才は推して知るべし。

 

時代は大学紛争のまっただなか、私が第一志望ながら轟沈した早稲田文学部に入学。ご本人は当時はあまりむつかしくなかった、とおっしゃるが、当時は単位ごとに学費を払えばよかった、ということで7年をかけて卒業。在学中からジャズをかける飲食店を朝から晩まで死ぬ気で切り盛りされて、30歳のときふと”小説を書いてみよう”と神宮球場で思いつく。

 

ここのところ、果たして私が大学紛争時代に早稲田の文学部に同じように入っていたらどうだったろうか、と思う。私は村上氏ほど音楽に耽溺していない(絵、に耽溺派)ので、あるいは画廊にでも勤めていたかもしれない。

 

たぶん、会社員はやっていない気がする。

 

私の時代はもちろん大学紛争はない。大学を出たら就職、だ。

 

どの時代に生まれたかで、もちろん結構人生は(結果として)変わるだろう。

願わくば、高校時代に、冒頭に揚げた言葉のような経験を得ていれば、

一途に学びに耽溺する、そういう人生もあったかも、と思ったりする。

 

たぶんそこまでを学校で”与えてもらいたい”と思うのは厚かましいのだろう。

 

出会いを得るのもまた、才能であるような気がしている。

 

(村上さんの本は、大変ご自身の思いをそのまま示された本、ですね。読み応えがあります)

 

 

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

Amazon