夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

日記 4月16日 完璧な一人暮らしを目指して削減しすぎて良いのだろうか。

完璧とは、付け足すものがなくなることではなく、削るものがなくなることであると言う言葉を聞いた。

 

日々の生活でも、一人暮らしをしていると、今まで当たり前だと思っていたものが本当にそうだろうかと思うことが多い。例えば洗濯機で当たり前のように柔軟剤を使っていたが、液体洗剤だけにしてみたが、別に問題がなさそうだ。シャンプーとリンスにしても、リンスインシャンプーを使えば、洗う時間が節約できる。

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塩にしてもそうだ。減塩を気にしているので、できるだけ塩の代わりに七味や胡椒や一味を使っているが、結構、それで何とかなるものである。

 

これは衛生的に微妙かもしれないが、毎日会社に玄米で作ったおにぎりを持っていっているのだが、もともとパサパサした玄米の握りである上に、いちど冷凍してそれを解凍しているので、食べ終わった時のラップは結構サラサラしているのである。

持って帰って乾燥させて再使用しちゃっているのである。

 

どこかのエッセイで、嫁入りした家の風土が違いすぎて、引くと言うコラムを見たのだが、ラップを再使用している小姑を見て、これは無理、となったと言う記事を読んだ気がする。

そのことを思い出し、この玄米おにぎりでのラップ再利用のことをここで書くかどうか少し逡巡したのだが、書いてしまった。気持ち悪くなられた方がいたら、すみません💦

 

思うのだが、一人暮らしだと衛生的にギリギリのところを狙ってしまうきらいがある。さらにこちらは汚らしいおっさんである。自己責任でついつい汚い方向に行ってしまうのである。

 

できるだけ毎日洗濯をし、毎日風呂に入ってはいるものの、存在自体が小汚いのである。

ただ、生活の中でいろいろなものを削っていくと言う試みは、結構いろいろトライをしながら行えるので、なかなか面白みが出てくるのである。

 

お世辞にも綺麗にまとまっていると言えない部屋ではあるものの、例えば電気式の加熱プレートの周りは、料理を作った後は、できるだけ毎日毎回拭くようにしたりしている。そうすると何となく気分が落ち着くのである。

 

そうしたちょっとしたことの積み重ねを習慣化していき、小汚い世界の中で中小汚い位を徐々に目指していきたいなぁと思っているのである。

 

(今は大小汚い、ですねー😭)