人口減は、人口増につながらない形で男性が性欲を処理することが出来る技術が出現した時点で始まったのだろう。あと残るのは自らを含む種としての不死性を、子孫を残すことで知らず希求している部分だが、基本子ではなく自身に不死性が欲しいとより思うことは、前日のこの欄で言ったとおりである。
日々そうしたことを(無意識下でも)考えている我々は様々なストレスにさらされているといえる。もちろんどんな世界、そんな立場にもストレスはあるのだが。
人口論の基本文献として私たちが利用できるのはマルサスの『人口論』である。マルサスの主張はわかりやすい。「適正な人口数とは、食糧の備給が追いつく人口数である」というものである。食糧生産が人口増に追いつく限り、人口はどれだけ増えても構わないというある意味では過激な論である。
マルサスの人口論は「人間は食べないと生きてゆけない」と「人間には性欲がある」という二つの前提の上に立っている。性欲に駆られたせいで人口は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増加しない。だから、ある時点で人口増に食糧生産が追いつかなくなり、飢餓が人口増を抑制する、というのがマルサスの考えである。
これは自然観察に基づいている。ある環境内に棲息できる動植物の個体数は決まっている。環境の扶養能力を超える数が生まれた場合には、空間と養分の不足によって淘汰され、個体数は調整される。その通りである。
ただし、人間の場合は、もう少しリファインされていて、餓死して淘汰される前で人口抑制がかかる。困窮の時期においては、「結婚することへのためらい、家族を養うことのむずかしさがかなり高まるので、人口の増加はストップする。」「自分の社会的地位が下がるのではないか」、子どもたちが成長しても「自立もできなくなり、他人の施しにすがらざるをえないまで落ちぶれるのではないか」といった心配事があると、文明国の理性的な若者たちは「自然の衝動に屈服するまいと考え」て結婚しなくなる。マルサスはそう予測した。これは現代の日本の人口減の実相をみごとに道破している。
それに、男性の性欲を生殖に結びつけずに処理する装置(「不道徳な習慣」)が文明国には完備されていることも人口抑制に効果的であるともマルサスは指摘していた。炯眼の人である。
内田樹の研究室 23.6.26 「人口減少社会の病弊」より
最近よく引用している内田樹先生のブログから、長くなったが引用した。ここでマルサスの人口論について知った。
1798年にここまで明確に将来を見通していたマルサスの慧眼に驚く。いままさに日本は「マルサスの罠」の中にいると感じる。最終的には食料が得られない、ということを懸念して子孫を残さないこと。マルサスはどちらかというと「目の前の食料」を意識していたと思うが、今は「将来生き延びることが出来る食料の確約」という面での罠であるが。
詳細は若干違っても、結局は食料(あるいは生き延びること)の問題である。
食料の生産性向上で「マルサスの罠」は克服されたとの意見もあるようだが、大きな意味では全く克服されたとは言えないと思う。
この地球では最終的には人口は激減する。人類は万年レベルでは(生物としては、と留保してもいいが)絶滅する。なんというか月とかで食料が出来たり、住めたりできればすこしその時期はブレるだろうが。。。
(また終末論的になってしまいましたね。。。)