夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

美醜を考える。

今朝は久しぶり?に体重を測った。金土日で結構糖類を食べまくったので、体重計に乗るのが怖い、という心境があるようだ。

朝バナナを食べたのちで、体重65kg、体脂肪率10.2%。まあまあだろうか。時間によって同じ体重で体脂肪率は8-14%くらいを行ったり来たりするようなので、まあ、あまりにひどくなければ秋ー冬のあいだは65kgをキープすることにしようか、と思っている。寒いと風邪をひくこともあるだろうし、風邪をひいたらある程度の体力が必要だろうから。。

だが日常、というか仕事の日々に徐々にリアル出張やリアル会食が戻ってきつつある感じだ。特に会食が体調コントロールには要注意だ。とにかく、飲むととことん食べてしまう「食べ上戸」だからだ。。。

昨日に引き続き美醜について。

 

「では、美醜を感じてはいけないのか。」

これは難しい。根っこにあるのは、「DNA=生存本能」だろうから。

では「生存本能」であれば、なんでも許されるのか。

ここは意識していろいろな本を見たりしているが、どうも歯切れが悪い。

美しい、と感じることは、すべてが生存本能からなのか。話はそうなるのだろう。

生存本能、は言ってしまえば性欲だろう。よりよき子孫を残す、という。健康で強い個体に、生物はDNAにより惹かれる、と理解している。

出来るだけ左右対称であるものがいい、ということも聞いた。自身を確認対象として見てみると、確かにそうだ。左右対称の顔は、確かに「美しい」と感じるし、左右対称でないと、「面白い」と感じる部分もあるが、「美しい」とは思わないような気がする。

逆に、DNAすなわち本能の指示は指示として、そこから離れたところに価値を見出そう、という考え方もあるだろう。だが、その態度の裏には、「DNAによる指示は仕方がない」という認識が抜けがたくあるだろう。態度や主義としては良いと思うが、それはこの問題をとりあえず脇におくことになるのかもしれない。

たぶん、哲学というものの態度にあるとおり、「問題点の下に線を引くこと」=答えはないが問題であることを指摘する、ということでしか、対応していけない問題なのかもしれない、と今は感じているところだ。

(うーん、難しい。。ただ、各論としてそのことで嫌な思いをする人がいる場合は、それに決して固執してはならない、ということは基本でしょう)

現代思想2021年11月号 特集=ルッキズムを考える