夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

現実をどう見るか。

今朝の体重65.7 kg、体脂肪率は11.2%。

体重が落ちたが体脂肪率は上昇。。

さて、この身体この眼、この触覚でありありと“ある”と感じるこの“現実”が、本当はないのだ、とする考え方が古今東西に存在する。

最近読んでいる井筒俊彦の「意味の深みへ」P.150より引く.

荘子のように、「存在」を「夢」と読み変え、ナーガールジュナのように一切を「空」に還元し、禅のように経験的世界の極限的境位を「無一物」と見るならば、すべての現象的事物、すなわち、すべての「指示対象」の実存性は、一挙に、全面的に、否定されてしまう。(中略)デリダの場合は、「指示対象」取り払いは、「相違」(DIFFERANCE)概念の導入によって行われ、それが彼の哲学の根本的な特徴をなす。
意味の深みへ 井筒俊彦

 

直感的に、このありありと感じる世界が、仮のものである、と思うことはなかなか難しいだろう。「本当に」仮のものであったとしても。

であればデリダのように、とりあえず、仮に、「存在のことは横に置いておく」ことも、思考を進める上では便利なのかもしれない、と

ふと思ったのだ。

(まあ、それだけなんですけどね)