留守宅に帰省。
今は新聞、テレビ無し生活で特に困っていないのだが、久しぶりに新聞を読むとなかなか面白い。
年末で読売新聞なので、人生相談の総集編(これを書いているのはクリスマス当日笑)を読んだ。
気になる回答者の表現に"驚いたのは"というものがある。私はどうやらこの表現が嫌いなようだ。
これはつまり回答者が想定していない事を相談内容から思い知ったと言う事なのだが、その語感からは"回答者の正しい見識から外れた事象を知り呆れて驚いた"と言っているような感触を個人的には強く受けるのだ。
多分回答者はもっと単純に無意識に使っているのだろう。だが驚くとはつまり"理は我が見解にあり"と宣言していることになりはしないか。
いやあ、もちろん悩み惑って相談を送るのだ。しっかり"常識"をぶつけて下さい、と相談者は思っているだろうし、驚き導いてもいい。だがそれを野次馬的に読んでいる私はその自信が少しく傲岸に感じるのだ。
まあ、ひねくれた考えかもしれない。しかしそこは驚かず、先ずは寄り添った方がよくは無いだろうか。
多分私は新聞に余り人格を認めたくないようだ。なので社説は嫌いでほぼ読まない。偉そうに言う前に自分でやれ、と感じるからだ。
まあ"そんなこと言うなら自分でやってみろ"とはよく言われる事で、これが行き過ぎると意見が言えなくなる、と言うことも頭ではわかっている。意見がないと無理が通り続ける、と言うこともあるだろう。
日本では議論が出来ないと言われる。意見に対し、是々非々では無く人格攻撃のように受ける人が多いからだろう。かく言う私もその1人だ。
これがあると議論文化は育つまい。本当は反対意見があるから私は相手を認める、と言うような態度が必要だと、
頭では、わかっているのだが。。
(そういう教育や相互理解が無いと厳しいですね。。反対意見で恨まれる、と言う感覚がありすぎます。。)