夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

宗教はショートカット要素がある点が難しい。小さな改革をやめない。

f:id:mamezouya:20230117064351j:image年末年始で色々食べすぎて体が重く、体重も多めであったのだが、昨日スポーツセンターに行ったら少し気分がよくなった。

今朝の体重は65.1kg、体脂肪は9.8%であった。

前の勤務地では、毎日昼に会社にあるぶら下がり健康器で、順手懸垂30回、逆手懸垂10回、ぶら下がっての足上げ、ひねり、水平上げを土日以外のほぼ毎日やっていた。

ここではぶら下がり健康器がないので、そのかわり昼に歩いている。35分、4000歩でそれはそれでなかなかいい。

だがどうも上半身と腹筋がだれ気味である。部屋にぶら下がり器具を購入することも考えたが、いまアマゾンをカードで使うのが心理的に嫌な感じなのでそういうときは直観に従って日々の工夫を考えるようにしたい。

まず器具いらず、という意味ではクランプ。実はクランプはやったことがなく、ほぼ腕立て腹筋、という世界であった。やってみると外から見ているのと比べて思いのほかきつい。米国兵士(たぶん海兵隊ではないだろう)の平均か標準が、あるいは目標かはわからぬが、3分40秒、ということなので、それだけできればなかなか良し、ということだろう。

はじめて数日だが、はじめは1分でつぶれた。今日は2分できた。3分はまだ無理だろう。

だがこれだけつぶれる、ということは逆に効果があるということ。器具ゼロでこれだけ効くとは、これは盲点だった。

やり方が正しいかはあるのだが(靴のほうがいいだろうが部屋なので素足)、今までで使っていない部位に効いている感がある。具体的には上腕部の付け根当たり。カールなどで効く部位とも少し違う感じだ。

そして腹筋に効く。これはシットアップよりいいかもしれない。

足上げは結構効果があり、気に入っていたのだが、やれる場所は限られる。

実は私、ぶら下がり力が弱く、鉄棒は昔から苦手。毎日懸垂しているとすこし力がついたが、いまのスポーツセンターでも握り部の直径が太いときつい。鉄棒位のほうが長時間ぶら下がれる。

この点はどうするか。通勤途上で公園を見つけてぶら下がる、というのもまあありだが、冬場は冷たくて厳しくはある。あとスーツにコートのおっさんがぶら下がっている図は珍妙であろうが(まあ、匿名性の高い東京では、ありかもしませんが)。

さて風呂場で考えたのだが、

宗教が本質的に避けられず持ってしまう”うさん臭さ”の源泉、あるいは原因は、そのショートカット性と、ショートカットを求める側の心象が持ちうる「さもしさ」の所為ではないかと考えた。

これはすべての宗教や宗教者に当てはまるわけではないだろうが、

この世ではたぶんわかることのない問いである「死」、これの秘密を「我が宗教に入れば教えて進ぜよう」という感じで、受け手に伝わることを言っている。

この構図が、このノウハウを持てばセドリで月10万(古いですね)、メルマガでアフリエイトで年100万、株で億り人、というような眉唾なノウハウ勧誘と、本質的に似てしまう、と思うのだ。

原初、ゴーダマ・シッタールダは、特に死後の世界を明確に語ったことは無かったように思う。また、例えば禅などであれば、どちらかというと哲学寄りで、詳しくはないが来世、という思想は(あるのだろうが)あまり中心ではない印象だ。

そうではあるが、どちらかというと現代はともかく近世までは「皆さんが不安に思う死後についておしえるよ」というアプローチは間違いなく多かったのだろう、と思う。不安を煽る、その時点で「微妙な宗教」といえるのではないか。

とまあ、こんなことを今朝風呂で思いついた、という話です。

そして「改革を止めない、自身の日々の卑近な行動で(笑)」、という事も考えている。

いやほんとささいであるが、「日々の暮らしで、必要なものが切れると”ああ、あれを買わねば”という気持で一日下手をすれば支配されてしまうので、予備で2個買って、予備の1個を使ったら、平穏な気持ちで補充の1個を買う」、というライフハック(笑)(笑)を思いついた。

さらにはユニクロの極暖と超極暖の保温力を見極める、外出時は手は胴部分の長さは短めでいいが、部屋着であればゆるくて長くて、空気の層ができるほうが(個人的いは)いい、といったことだ。

タイト極暖2枚重ねで部屋で過ごしたが、ユルユル超極暖2枚重ねのほうがどうやら楽で温かい(まあ、あたりまえですね)ということを実感した。

服については、最近は機能に注目している。あとはできるだけタイトにしている。

これはもう流行に合うか合わないかわからないが、とにかく独自路線でいこう、という気になってきている。

まあ、単なる日常生活の微々たることではあるが、工夫することですこし気分がよくなることは嬉しいことである。

(まずは前向きな心構えからですね)