夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

東京都庭園美術館へ行きました。

昨日は東京都庭園美術館へ行って来ました.

この美術館の事は知らなかったのですが、古本屋で購入したドイツロマン派展画集(1990頃開催)を見ていて実施された美術館名を見たらここ、果たしてどこにあるのかと確認すると、ドアtoドアで30分くらい、美術館も良いが庭園建物も素晴らしいとのレビューがあり予約したというわけです。

1933年(昭和8年)建築のアールデコ様式で50年後の1983年(昭和58年)に美術館として開館された旧朝香宮邸.

朝香宮家は久邇宮朝彦親王の8男鳩彦(やすひこ)王が1906年に創立したもので、1887年生まれの鳩彦王は1910年に明治天皇第8皇女允子(のぶこ)内親王と結婚、この白金台1万坪は大正10年(1921年)に下賜されています。

余談ながらフィオナ・マクラウドの素晴らしき幻想譚、ケルト神話の女戦士スカァアの物語"かなしき女王"を訳した松村みね子こと片山廣子は1978年の生まれ、9歳下の鳩彦王はほぼ同世代と言っていいでしょう.

この建物が生まれた時代を感じるのに年譜がだいたい頭に入っている片山廣子が経た時と比較しながら感じると個人的には理解しやすい.

鳩彦王アールデコ全盛のフランスに1922年から(事故による治療もあり)1925年まで長期滞在、同年のパリ万博も見学したとの事で、その経験と皇族で明治帝第8皇女という允子妃の影響力もあり、1933年にこのアールデコの粋を集めたこの邸の誕生を見た,と理解しました.

さまざまな条件がないと生まれなかった建物で、実際に入って感じた感触(邸内は撮影不可でしたが特別に撮影できる建物公開期間はあるようで、4月頃とのことでした)は確かにフランスアールデコ直輸入の感がありました.

邸内は和洋折衷感は希薄で、入口に配置された狛犬もどちらかと言うと一度洋行して戻ってきた感のある当時の東洋趣味、シノワズリーの風味もあります。言わば欧米人に刺さった東洋デザイン、という感覚です。

そして玄関外から撮影したレリーフルネ・ラリック(仏1860-1945)作、大客間天井灯もそうだとのことですが、やはりアール・デコ博覧会と称されたパリ万博を見学した朝香宮夫妻のこだわりでしょう。ガラスの中に天使たちが凍り閉じ込められている印象もあるこの作品、建物と相まって個人的にも大変印象が深かったです。

ラリックはミュシャと共に女優サラ・ベルナールに見出されたのを契機に世に出たと言う事で、個人的に高校時代から好きなミュシャとの繋がりもあると知りこちらもなかなか興味深いです。

尚本邸を設計した宮内省内匠寮所属の権藤要吉氏もアール・デコ博を度々視察し、朝香宮夫妻とその時ロンドンで親交を深めたということで、これはもう要望を言えば打てば響く状態だったと推察され、むしろ両者のデコへの入れ込みと熱狂がこの建物を産んだ母体でもあるのでしょう。

最後は陸軍大将であった朝香宮は、1947年の皇籍離脱まで在邸、その後3年間は外相邸として総理大臣を兼務していた吉田茂が利用、1950年には700万円で西武鉄道に売却されています。

ホテル建設計画があったとのことですが、反対運動がありそのまま1981年まで西武が使用し、1981年に139億円で東京都に売却されたとのことです(wikipediaより).

豹の像はエドゥアール・サンド(仏EDOUARD M.SANDOZ 1881-1971)作、1996年に同美術館で行われた個展の記念に寄贈されたとのことですが、鳩彦王とも同世代のフランス人美術家です。

こちらも大変気に入りました。

現在アクセル・ムンテの"サン・ミケーレ物語"を読んでいますが、彼が愛し住んだイタリアのカプリ島の邸宅(イエスキリストが生まれた時のローマ帝国皇帝ティベリウスが住んだものを復刻した)に、こだわりのスフィンクス像が配置されています。さながらそれを彷彿させるように、邸を狛犬と共に見守ってAxel Muntheいるような感じがしました。

長々と大変失礼致しました(目が痛い😂)...

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