年齢は関係がない、というときの、自身の気持ちを眺めてみれば、そこには一抹の「言い訳」があるのに気づく。
これは良くない。
言い訳があるなあ、ということばかりが残ってしまう。
年齢により計算能力が落ちることはないが、「年をとると能力が落ちる」と思うと本当に落ちる。
これが「呪い」である。
呪いは、別にブードゥーのような呪具がいるわけではない。
呪い、とはエゴのことだ。
エゴは生きるためのモチベーションであるのだが、マイナスでもモチベーションになることをよくわかっている。
なので、「呪い」は好物だ。
能力が落ちる、という形で変化する。変化とは時間の経過を伴うこと。すなわち「生きる」ことだ。
残念な生かも、だが。
なので、この呪いにはとことん自覚的でありたい。
私はエゴではない、と思うのもいい。
自己収縮、という言い方もある。ケン・ウィルバーだ。
自然と沸き起こるエゴや自己収縮に代わり、自己解放がいいだろう。
今だけに生き、無限の永遠の時間にあり、自己を敢えて規定することはない。
これは生き方の構え、のことである。本当にそうか?という問いは受け付けない。受け付けると、自己収縮に落ち込む。
(呪いは、巧妙ですねー)