夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

サル山と運動部と文化部と文系と理系。

だいぶ暖かくなった。

今朝はコートを脱ごうか迷ったが、いままでの3月の経験では、昼はとても暖かく、夜は寒い、というのがある。

春休みに九州のハウステンボスに行ったことがあるが、夜行バスであったので帰りも遅くまで園にいた。

私はあまり九州に縁がないので、「九州はぬくい(暖かいの意)」というイメージしかない。そして九州は全体で一つの島のイメージだ(まあそうだが)。

そんな感じで3月末だったので薄着でいったら、凍え死ぬか、というくらい夜は冷えた。本当に寒かった。

ということで、暑ければ着ていったものを脱ぐ、これである。かさばってもいい。身軽で凍死するよりは、かさばってサバイバル。これを九州旅行で学んだ。3月の夜はまだ寒いのだ。

本日朝の体重は食前で66.2kG、体脂肪12.8%。これは重い&脂肪付きすぎ。朝食前なので1kgは落とさねばならない。先週からサイゼリアに行き過ぎたかもしれない。炭水化物も、ザ・ビッグでパスタとペペロンチーノの素を買って食べたのがてきめんに効いたようだ。

まあ、増量期と定義して、筋量UPを狙う手もあるのだが。。。

 

 

さて、いままで生きてきて、人間はつくづく猿の仲間だ、と感じている。チパンジーと人間には種としては地続きだという。

サル山とは人為的に猿を閉じ込めるものだ。そこでは弱い(肉体的に、あるいは精神的に)個体はしんどい思いをする。

それが雄の個体であれば、いわゆるアルファ(というんですかね?)の雄個体にいじめられ、だいたいははぐれるか、いじけるかして群れの最下層に沈む。あるいは群れに入れてもらえない。

まあ、こういう猿の持つ社会性を極端な環境で抽出して観察しよう、というものが猿山の目的なのだろうが、やはり動物虐待の一種ではあるだろう(すべての研究はそのリスクがあると思いますが)。特にはぐれざるを得ない個体にとって。

そしてそれは多分、中学校と似ている内申書で縛って、地域性でしばって、席順でしばることで疑似的な「猿山」状態となっている

するとどうなるか。人間が進化論的に動物である面が避けがたく浮かび上がってくる。

1.群れで誰が一番強いのか。

2.群れで誰が強いものを認識して追従できるのか

3.繁殖面で一番有利な個体はだれか

4.群れのルールがわからずはみ出るものはだれか

これらはすべて、動物としての、種を残すという本能から自然と来るものだろう。そのことが、避けがたく、去来するのだ。そこではもう、親の庇護は及ばない。

小さな生きていくための集団、これが会社や個人商店であろう。家族のみであれば格別、人を雇う場合には、そうした中学校であからさまになった「人間猿の世界」の結果そのままの組織と、なると思われる。

それが「運動部系」と「文化部系(含む帰宅部)」の区別であろう。

会社は大きく、運動部系組織のものと文化部系組織に分かれる気がする。勿論複合的ではある。だが、運動部的であれば、思った通りに叱り、思ったとおりに反応する。先輩後輩の区別が強く、先輩の言うことは絶対である、という雰囲気がある。後輩の思いや人格が否定されることも多い。だが、自分もそうなので、それほど深くお互い悩まない。

一方の文化部的組織であれば、怒りに任せて叱り飛ばすなど論外だ。すぐにパワハラ案件となる。セクハラ、パワハラに日々注意して過ごすことになる。

人はそれほど単純には割り切れない、とは思う。だが、やはりどちらかの傾向が強い、という面もあるように思う。

例えば体育会系組織に、パートで文科系的人間が入ったら。これはありうることだ。パートなのだから。もともとは文科系的組織にいた場合もあるだろう。

そういうひとは、組織で苦労する。ただでさえパートは立場が低くみられることも多い。人格無視でしかり飛ばされたら。これはたまらない。

いじわるをしよう、というよりも、日々そういうコミュニケーションをしてきているので、そうなってしまうひともいるだろう。だが、「文科系パート」さんが、耐えるのはとても大変だ。

同じ「文科系的組織」であっても、文系、理系の区別がある。文系的組織は、時に営業系であれば「疑似体育会系」とのミックスもよくある。理系からそういう「疑似体育会系」文系組織への移動は、これはこれで大変だ。

人を変えることはできない。できるのは自分を変えることだけだ、という。

この場合、やはり耐えられない、と思ったら、全力で離脱するしかないかもしれない。離脱できる条件がそろっていない場合は悩むところだが、そこで精神が破壊されると影響が長引くだろう。

(組織とは本当に難しいですね。。)