夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

須賀敦子の方へ。

物見遊山の2日間を過ごした。

東京に来て1か月弱、そのうち海外出張に歓送迎会、名古屋に2回帰り、とバタバタしており、きちんと東京にはいなかった。

そんななか、昨日今日と東京に居た。いわば初めての東京の休日となった。

慣れるとそんなことはないのであろうが、今は20年前に名古屋にいった頃と違い、今しかない、という池田晶子先生の教えがあるのではあるが、まあ、あまり今後こういう時期はもうないのかもしれないな、という予感めいたものがある。

若いころは”またこういう機会が来るに違いない”という漠然とした予感というか、甘い期待があったものだ。だがこの歳になると、一期一会感が、深まってくる。

生来僕はどちらかというとモノで残したい志向が強かった。だが、いまは、”体験、経験”、つまりモノではない、記憶の重要性を感じるよういなった気がする。

本年、長男の大学進学に伴い、あまりに溢れかえった部屋の本を約500冊、BOOK OFFとまんだらけに売却したが、その経験からものをとにかく買おう、という意識が少し変わった気がする。

モノへの執着がすこし減じた、ということだろうか。

だが、まだ池田さんの域には全く到達しないのであるが。。


いずれにせよ、体験や他の人との幸せな記憶が、将来の自分に結構大切ではないか、と思うようになってきたのだ。


そんななか、好きな作家である須賀敦子さんの展示会が、横浜の神奈川近代文学館で開催されているのを知った。

須賀さん、といえば実は池田晶子さんが紹介してくださった作家なのである。

勿論池田さんの生前、そのお姿を直接拝見することも、TVで拝見することさえなかった僕である。池田さんが、直接紹介してくださったわけでは残念ながらない。

本ブログからのご縁である。池田晶子さんの文章に触発されてこわごわ始めた本ブログ、訪問いただいた履歴を拝見することがある。訪問いただいた方の履歴をたどって、須賀さんの著作にたどりついたのだ。

一読、その文章に魅了された。どこがというわけではないが、その香気のようなものに惹かれた、としかいいようがない。

まあ、これは相性、文章の相性というものだろうと思っている。

池田さんもそうであるが、読んでみて、”この文章が好きだ”と思う作家がある。

なぜか女流が多いのであるが、森茉莉向田邦子、そして須賀敦子

エッセイ、という分野ではなぜか女性である。性別は超越?されているが、池田晶子さんももちろん女性だ。

(超越なんていうと、オカマみたいいであるが)

まあ、そこは意識せず、素直に自分の感覚に従っている。

そこで須賀敦子さん。


親近感を感じるのは、僕の故郷にご縁があることもある。小林聖心に通われているがこのあたり、僕の母方の祖母や親戚が多く過ごした場所に近い。

育たれた環境は、たぶん僕が子供時代に感じた環境と地続きなのだ。いわば、”同郷の作家”。

そんな思いがある。小学校で父親の転勤で東京に出ている。そうしてそんなご縁で、こうして神奈川文学館で展示会を通じて僕とお会いしているのである。

時を経て、時空を経て、その痕跡を通じて、須賀さんの魂の残り香を嗅いだ気がする。筆まめな手紙。7歳年上のイタリア人の夫を41歳で亡くしてから、須賀さんは一人で生きた。イタリアから帰国したのが42歳。それから69歳で亡くなるまで、どのような思いで過ごされたのか。

そんなことが、手紙を通じて伝わってくる。

昭和8年生まれの須賀さん、いわば僕の両親と同世代である。

上智大や慶応で教鞭を執られている。教え子はずばり僕と同世代になる。


万年筆でしたためられた手紙を読む。本来特定の個人にあてたものであるので、読んでいて罪悪感がすこし出てくる。有名人になること、死んでもそのプライバシーが後世に開陳される。

いや、因果なことだ。

だが、ありがたいことでもある。


若いころは、感じなかったことも感じる。例えば、いまは僕はもう須賀さんの留学を神戸港から見送った須賀さんの父君よりも年長なのだ。彼がどのように感じたのか、わかるはずもないが、その年齢の自分の意識は覚えている。なので、”こういうふうに感じたのではないか”という推察が働くのである。

これは、若いころにはなかったことだ。

例えば実際に行った場所で撮影された映画を見る。

急に映画が身近になる。自分がそこにいるような気が深まる。


それと似たようなことだ。精神的に経験済みである、という感覚。


須賀さんは61歳で自らの本を初めて上梓された。翻訳は多数あったが、それまで”読む人”であったのが、幼少からあこがれていた”書く人”にとうとうなった、と感じられたという。

書く人になりたい。

本が好きだと、思うことかもしれない。御多分に漏れず僕も夢見たことがある。何度かこのブログで書いた記憶があるが、就職できないから、と禁止されていた文学部志望、唯一就職できそうだと思われた早稲田大学第一文学部受験に轟沈し、”ああ、これでなくなったな”という思い、なぜだかどこかほっとした気もしたものだ。

いや、話がずれた。


いずれにせよ、須賀さんにすこし出会った気がした。

その真摯な気持ちに触れ、背筋がすこし、伸びた気も、した。

ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

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コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

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ユルスナールの靴 (河出文庫)

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えー、物見遊山で撮影した写真を、アップしておきます。

白黒で撮ると、すこし古い写真のような感じになりました。