人生では転機、というものがあるのかもしれない。
その瞬間、”これは転機か!?”と感じるようなものもあれば、思い出として振り返って”あれは転機であったのだなあ”と思い起こすようなこともあるだろう。
運命を運命として感じる感じ方と、自分に自由にできるのは今この瞬間だけである、という考え方がある。最近気になったアドラーの考え方であれば後者となるだろう。
ただし、”今しかない”と思っても、上手に過去を思い出す、含む自分以外の人類の、という手段にて、今をより豊穣に生き、考えることはできるだろう。
また、同じように将来を過去からだらりと伸びる地続きのものとは見ず、自分の意思の結果を反映できるもの、として主体的に考えるのであれば、自分の将来は自分のものである、という風に感じられるであろう。
要は”運命”という言葉を自分の人生が主体的ではないことの言い訳にしない、ということだろう。
来週1週間、北米出張となった。
そして10月1日から品川へ転勤となった。
名古屋に住んで20年、その前に3年ほど横浜に住んでいたが、まさに久々である。
一人暮らし、となる。
まあ、さまざまな不安もあるわけだが、
とりあえずは、池田晶子本をすべて(持っている分)もって、赴くつもりだ。
そう、あれですよ、無人島に1冊どの本をもってゆく?というやつ。
1冊ではないが、”一人”とすればやはり池田さんであろう。
小林、もいいんですがね。
池田さん、よろしくお願いいたします。