小麦粉を食べない食事法だが、一人暮らしであることもあり、東京では出来るだけ実施している。
つまりパンは食べない。うどんはやめて蕎麦にしている。
まあ、安い蕎麦だとつなぎですこし入るので、”プチグルテンフリー”ではあるが。
なんとなく、体調は良い。キレが出てきた気がする。
玄米も食べるので、糖類は採っている。食べる量も別に減らしてはいない。
話してみると、結構実施している人が居る。なにしろ最強の実施例(僕は別にテニスは見ないのだが)があるので、まあ試してみて損はない、というカンジである。
多分、穀類で米を食べる日本人には取り組みやすい面もあるだろう。
そんな”なんちゃってグルテンフリーター”?な僕であるが、昨日の読売新聞で、小麦粉を売る日清製粉が全面広告を打っているのを見た。
会社として、全日本バレーボールを応援する、ということだ。
これを見て、アスリートの間で”グルテンフリー”が相当進行しているのだなあ、と感じた。
いや、小麦粉だと、ケーキやパスタも入るので、普通の人は結構大変だと思う。
だが、勝つため、という目的を持つアスリートは、ストイックに実施することは可能だろう。特にこの日本。お菓子を食したければおかきだってあるし、餅もある。それこそ蕎麦だってある。
それに小麦粉は大量生産するために遺伝子操作されたものが混じっているであろうから、なんとなく不安感がある。
まあ、別に小麦粉に恨みはない。自宅へかえれば普通にパンを食べている。
件の新聞広告いわく、人は1万年前から小麦を食してきたという。この日本、米を主食にしてきた島国である、という特殊性を考ええると、世界の中では特殊な位置にあることが、改めてわかる。
そして”コメはださい、パンはオシャレ”である。
朝ゴハンというより、パンのほうがお洒落な感じがしていたものだ。
朝はごはんというよりも、朝はパン。
うーんオシャレ。
いや、これ僕が高校生の時思っていたことだが。
これは結局古いものを強制されることへの単なる反発という面もあったような気がする。
いまは納豆に味噌汁に玄米。発酵食品健康に良し。こちらがむしろお洒落になってきた。
かように西洋式生活が、ジョコビッチ氏により、健康志向により、脅かされている!!
これは新聞広告を打たねば!!!アスリートにパンを食してもらわねばっ!!!!!!!
・・・・いや、大変なことになってきた。人の生活の根幹である食も、結構もろい、すぐに変化しうるものだ。
そんなことを考えさせられる新聞広告であった。
そして最近いろいろな変化を感じている。
上述のグルテンフリーしかり。
断捨離を実行するミニマリスト、というのもある。
ものを持たないことが、気楽で動きやすい、何かあればすぐ出来る、という構えに繋がることは、自身でも実感している。
自分に本当に必要なのか、”追加装飾”的に必要なのかを考えるようになった。
車もそうだ。東京に住んでみると、特に感じる。別に必要はない。
池田晶子さんの暮らし、そうかんがえると自然に必要なものしかお持ちでなかったと思う。池田さんの素晴らしいところは、自然体であるところだろう。必要なら持つ。不必要なら持つことがありえない。
ダンディ君の病院通いに必要なら、苦手な車の運転もする。いや、失礼ながら多分本当に運転は苦手であられたと思う。パソコンも買ってみる。結局手書きに戻ってしまうが。
池田さん流にいえば、”そもそも捨てることをあとでグダグダ考えるようなものをどうして買ってしまうのですか”というカンジだろうか。だが愚鈍な凡人である僕は、買ってから思う。ああ、置き場がない。
最近、靴下を捨てた。履かないものが多くあった。家族に言われて本も売った。地震のとき、下敷きになって死なないように、といわれて自分でもそのリスクを感じたのが理由だ。
おお、なんだこの達成感は!なんとなく魂が身軽になった気がするのはなんなのか。
これが”断捨離”かっ!!
・・いや、断捨離本はちゃんと読んだことはないので、推測感動だが、この達成感、なんだか癖になる。
次はなにを捨てようか、と見回すことになる。
本も、映画も、音楽も。
ネットでアクセス、という変化は本当に大きいものだ。基本的に本も、DVD本体も、カセットテープも(失礼)、3次元のものは不要なのだ。
最近は立体のフィギュアもほしくない、場所を取る、という流れがあるようだ。データがあればいい。画像があればいい。
確かにゲームではレアアイテムはデータである。それでも獲得感はある。達成感もある。
そしてこのWEB空間、建前としては”死後も続く”。
自然と個人のログが後世にのこっているような感じがある。
いや、実態はわからない。感覚だけ。
そういう感覚があると、汚れほこりがつく3次元物は”めんどくさい”。
そうなるのは良くわかる。
多分古い3Dものを大切に思う世代は、将来的には古い世代とみなされるようになるだろう。”老人世代の郷愁”、”実物保持世代”、”私有世代”。
豪華な服を着たければレンタルして返却。気に入れば購入できます、といわれれば、その可能性を気持ちのなかでいわばこみこみ購入していることになる。
電話もゲームも音楽も地図も本も友達も心理相談も星占いも、秘密も写真も時計も、なんでもかんでもスマホの中に入っているようになった。
これがないと生活が立ち行かない。いや、持ってしまったあとは。使ってしまったあとは。
で、その分バラバラのサービス相当の経済圏が縮小した。人は労働を失ったといえるだろう。
そこでのこるのは”この風土とそこにくる旅行者”。
サービス業、昔からの”ひとになにかをする仕事”。
あとは農業か。
あの”おもてなし”という語感、個人的には好きではない。
”丁寧にもてなしてやるので、金落とせ”と聞こえるからだ。
いや、そういう意味である。ものほしい感じ。品がいいようでゼニゲバ。
いやあ、おもてなし、なんてことばはいわぬが花、だろう。言ってしまえば”野暮の骨頂”
話が戻るが、”持たないこと”は”持つことの自由も生む。空いた空間に、”本当に必要なもの”を持つことができるのだ。
これが実は一番いいことだ。
必要な本はきちんと買おう
・・・結局昔とおんなじか・・・
この頭ひとつあれば生きていける。そんな池田さんの姿勢をいま改めて素晴らしく感じている。
持つまでもない。”無捨離”、というところだろうか。
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知覚に感知される物理的な身体はいずれは老いて衰え、死ぬ運命にあるのに、その身体を自分と同一視すれば、遅かれ早かれきっと苦しむ。
身体にアイデンティティを求めないということは、身体を無視したり嫌悪したり、かまわずに放置することではない。
身体が強くて美しく、精力的ならば、その資質を─それが存続するあいだは─ 感謝して楽しめばいい。
さらに正しい食生活や運動で身体のコンディションを改善することもできる。
最近すこしエックハルト・トールが気になっている。