と、言うほどのこともないのだが。
地球の何処にいようが、頭ひとつあればいい、ともしかして我が池田晶子さんならおっしゃるのかもしれないが、凡百の魂たる僕の魂はのぼせあがり、まずはそう、これですよ、時差。
今日本の23日19時ですか、アメリカのここは朝6時。
しかしと言って別に過去に来ている訳ではなく、ただの決まりで同じ瞬間をそう言っているだけであり。
日本に戻れば、ずれたように見えた時間は元にもどり、ただリズムを失った身体が、負荷を受けて静かに主張し、無理を知る。
飛行機の上で、雲の上を高速で肉体に紐付いた魂が機械の力を借りて移動していることに気づくが、これはもしかして魂が魂そのものになった時のありかたに似ているのかもしれない、と思った。
池田さんには、考えには距離も速度もないと教わったが、そう言う意味では、疑似魂化?か。
何だかヘンテコなこんな考えに囚われるのも、やはり考えは環境に影響される、ということだろうか。
1999年3月5日の池田さん。リマーク P.136(新版)より。
鏡の比喩
事象が消滅しても鏡は残る
(宇宙が消滅しても鏡は残る)
鏡のみ光り在る、そこに
瞬間に、そして永遠に
鏡のみ在り
そして、やがて、自家発光?
鏡の自家発光
自身の静謐に耐えきれず、自ら溢れる、横溢する
光
光、四界へ
鏡の自家発光
万物の発出
池田さんの元祖呟きであり、巫女としての宣託でもあるこの”リマ〜ク”、まさにくんでも尽きせぬ泉の如し、である。
同じく池田さん、これまで幾度となく引用してきたが。
幸福は、欲するものではなく気がつくものだ。
最近よく引用させて頂く”嫌われる勇気”岸見一郎,古賀史健 より。
他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見る。
P.209
「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」
P.226
「信頼」他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない。
P.231