嫌われる勇気 を読んだ。
欧米ではフロイト、ユングと並び称されるということであるが、いままであまり意識したことはなかった。
フロイトの原因論に対し、目的論、というあたり、あきらめの心理学がフロイトとすれば、あきらめず変わろうとする前向きな心理学、という意味で、個人的には好感を持った。
また、ユダヤ教の考え方である原罪、(現世の私が)みずから犯した罪ではない罪に、責任がある、という考え方に通じるものがあるとも感じた。
世界を引き受ける、気概、のようなものが内包されている。
そしてそうした思いを持たせる機能もある。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ニーバーの祈り、についても言及されている。
変えられるものと変えられないものを区別する力を与えてください、という、あれだ。
P.44から。
”大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである”
生、それ自体にはなんの意味もない、自分がそれに意味を見出してゆくのだ、というあたりは、わが池田晶子さんの感覚にも通じる部分かもしれない。
善く、生きるについても言及あり。
P.46
”ギリシア語の「善」(agaton)という言葉には、道徳的な意味合いはありません。ただ「ためになる」という意味です”
悪をなそうと思って行うものはいない。他者からみて”悪”とされるものでも、やっている本人にとっては”善”、そう、「自らのためになる」という意味での善をなそうとしているのである。
ここで、魂、の語を考えたら。
悪人正機説も、そのあたりをいおうとしているのかもしれない。
そんな視点を与えてくれる一冊であった。